うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

崖の上。

割と落ち着いた、波風のない毎日を過ごしている。

 

無という訳でもなく、喜怒哀楽も適度にあって、人らしい毎日を過ごしている。

 

なのに、急に崖から落ちそうになる。ほぼ毎日。

 

強烈に死にたくなったりもする。1日の中の一瞬。だからやり過ごせる。

 

崖の上は平和だけど嘘の世界にいるみたい。嘘を本当だと思っていいのに。ここが私のいるべき所で間違いないのに。

 

なんで落ちたがるんだろう。傷つかないと落ち着かない。死にたくないと生きていけない。

 

疲れたな。そんな毎日。

 

今年も終わっていくね。また1年が始まっちゃう。止められない。

 

生暖かい冬は嫌だ。泣きたくなる。

破談。

ここ数ヶ月で、再婚話が急浮上して、いろいろあったけど、無事破談となりました。

 

そうなると思っていた。強く望めばその通りになるなんてこともなく。いや、私は強く望んでいたかな?

 

結局心の奥底の、私は幸せになってはいけないっていう呪縛から解放されない。

 

私なんか、生きてるからこうなるんだ。結婚なんて人並みな【幸福】の象徴を手に入れるなんて、おこがましいな。

 

結婚したら、一人で一生頑張らなくてもいいんだとか、頼れる人がいるっていいなとか、私の人生変わるかなとか、夢見ちゃったなぁ。

 

夢みてた間は幸せだったなぁ。叶わないって分かっていたんだけど、それでも誰かと寄り添えるのはそこはかとなく幸せだった。

 

私のくせに。私の分際で。

 

破談になった、は言い過ぎかも。結婚しようと画策したけど、できなかっただけ。結婚するって決まる前段階で、バラしになった。

 

まあいっか。指輪はどこで買う?とか、式は挙げる?とか、人並みな会話できただけでいっか。

 

また一人でちゃんと頑張ろう。誰かに寄り添って生きたいなんて、バカな夢を見たものだ。

 

バブルウィッチっていうゲームを、ひまな時ぽちぽちやるんだけど、クリアできない時、あきらめるっていうボタンが出てくる。

 

それを押すたびに、多分この先、あきらめなきゃいけないんだよなって何度も思ってきた。だから意外と諦める心の準備は万端で、今も落ち込んでもいない。

 

むしろ、落ち着いた。しっくりきた。私のいるべき底に帰ってきた感じ。

 

もうボチボチ、自傷行為を再開したい。無意味でも構ってアピールでもなんでもいい。いい加減自分を傷つけたい。大丈夫なフリに疲れた。私らしく壊れて生きたい。せめて、それくらい自分の思い通りにしたい。

 

楽になれるのにな。後悔もするんだけど。なんでこんな事したんだろうって、後悔もするんだけど、普通に生きるの辛い。一般社会に紛れて生きるのが辛い。

 

罵られて、傷つけられて、私は私でいられる。もう失うものなんてない。

 

息子の事だけ。息子が悲しむ事だけはしないでおこう。私が生きてる理由なんてそれしかない。なのに、再婚なんてアホだ。死に損ないのくせに。

 

傷付いた。程よく傷付いた。幸せ感じるより、心地いい。

 

多分私が破談にしたんだ。幸せが苦手で、壊れるように仕向けたんだ。最悪。

 

でもそれでよかった。誰も悲しんでいない。みんなの為になった。私なんかもっと傷付けばいい。まだまだ耐えられる。もっと壊れても生きていける。

 

タフすぎ。あと何年、生きるのかな。

 

 

いじめたり、いじめられたり。

私が子供の頃から、いじめはあるし、今の息子の学校にも、大なり小なりいじめはある。

 

息子のクラスの中で起きてるい女子同士のイザコザは、聞く人が聞けばイジメだし、いじめている側はいじめている自覚などないだろうと思われる。

 

いじめられてる女子は、性格が少し悪かった。ワガママで自己中心的。それに目くじら立てた女子グループが吊るし上げをする。

 

男子は我関せず。無関心が無関心を呼ぶ。

 

性格が少し悪い。それをほっとけないのがいじめの発端。許せないっていう子たちが群れを成す。

 

私もそれに近かった。人と少し外れていた。自業自得な事がたくさんあったから、何をされてもそもそも自分が悪かったからと思って、耐えるしかなかった。中学生だったし、女子校だったのもある。

 

いじめてないって、言われてた。これはいじめじゃないから。自分が悪いのわかってるよね?仕方ないよね?そう言われたら、いじめではなくて自分がした事への報いになる。

 

だから私はいじめられていないし、傷ついたのは傷つけた報いだから当然の事だったのだと思っている。あれはいじめではなかった。

 

たくさんの人にたくさんの悪い噂を流されて、友達もいなくなった時、隣の席になった子が時々話しかけてくれた。

 

普通にいいやつじゃん。なんであんな悪い噂流されたの?

 

私が悪かったから。噂じゃなくて事実だから。

 

いじめられてたの?

 

いじめられてない。私が悪かっただけだから。

 

その子とは友達にはならなかった。誰とも友達にはならなかった。地元の親友には彼氏ができて会わなくなった。親は落ちこぼれた私を責め続けていた。

 

私は泣かなかった。こうなったのは自分のせいだとわかっていた。死のうと思った。それだけだった。全部自分が悪いから、死ねば償える気がした。

 

でも死ななかった。弱かったのか強かったのか分からないけど。そのまま生きて、違う高校に行った。

 

高校では友達はできたけど、学校以外で会う子はいなかった。友達ではなかったのかもしれない。

 

専門学校でできた友達は、2人だけ今も友達。5人で仲よかったんだけど、私が心を病んで、二人離れて行った。

 

私は本当に自分の至らないところが自分に返ってきた人生だと思う。本当は人と違うところをほっといてほしかった。思い知らせてくれなくてもよかった。死ねなかったのは強さか弱さか分からないけど。

 

だから今でも、人に好かれたり愛されたりするに値する人間ではないと、思い知っている。何がいけなかったのかな。身も心もボロボロだった時、ただ、1人でも見方がいてくれたらよかった。

 

親でも友達でも先生でも、誰でも。だれでもいいから1人でいいから、気づいて欲しかった。自分が悪いって知ってたから自分からは言えなかった。だから気づいて、あなたは悪くないって嘘でもいいから言って欲しかった。

 

自分が悪いって、ちゃんとわかっていたから。

 

誰かに必要とされていない人間は、消えるんだって。なんであんたは毎日いるの?

 

あれからずっと、誰が私を必要としていて、私が今も消えずにいるのか、分からないまま。

 

思い知らせてくれてありがとう。自分が無価値な人間だって、あの頃教えてくれた人達に感謝している。思い上がって生きて行くところだった。

 

息子のクラスの話を聞いて、自分の過去を思い出してしまった。もう20年も前の話だ。

 

性格や言動が悪かったり、人と違う子を、集団で傷つけていい理由なんかない。わざわざ思い知らせてくれなくてもいい。

 

みんなと同じである事が権力になる。それは今でも少し怖い。

 

 

 

 

 

 

余計なお世話。戯言。

余計なお世話だと思うんだけど、最近注目のバンドは、キーボードがいる率が高い気がする。

 

私は楽器全くダメなので、いるのといないのの、違いがよく分からない。なんとなく、見た目的に好きじゃない。

 

男子4人前後に女の子がキーボードっていう編成で、ポップでポジティブな歌を歌う。時代なのかな。

 

私は男っぽい音楽が好きだし、女性アーティストなら、破滅的な人たちが好きだよ。そういう時代を生きてきたからかもしれない。

 

高校生の時は、椎名林檎とかCoccoとか鬼束ちひろはもう少し後だけど、なんとも言えなく同世代の女性アーティストは破滅的な楽曲が多かった。

 

バンドも破滅的だった。ビジュアル系全盛期だったし。その中でもやっぱりhideは神だった。ブレなかった。みんな何かもがいてた。

 

ここ数年で割と破滅的な曲に出会ったんだけど、歌詞の意味が不治の病がどうとかネットで見て、薄いなぁと思った。歌詞の理解は聞き手次第だと思えばそれまでなんだけど。

 

不治の病って、架空の世界では使い古されてる。はい、感動作です!感がすごい。不治の病じゃなきゃ入り込めたのにな。でもこれも数年前か。この曲大好きすぎるーとかいうレビュー見ると、本当に嫌になる。

 

この女子キーボードの編成はセカイノオワリの影響ですかね。子供に人気の。

 

うすーい世界観の音楽が多いのは何故なんだろう。好きすぎてドキドキ、とか、キミは1人じゃないよ、とか。心を良くも悪くもえぐらないな。応援ソングとか、聞くと元気が出る!とか、みんなのうたみたい。私にはあんまりいらない。

 

同じように恋愛がテーマだったとしても、エログロかったりすると今は倦厭されるのかもね。それより、気づいてこの気持ち☆みたいな方が身近なのかな。バカ量産しそうな思考回路だ。

 

垂れ流すリビドーなんて、もう世間は受け入れないんだろうか。毎晩絶頂に達してるだけとか。

 

平和だ。うわっつらの。自分が一番充実してる為には、ポップでポジティブなの好きすぎるーが正解なの?

 

破滅的なんだけど、もがいて明日も生きるけど死んでもいい、みたいな人たちが欲しい。キーボードがいないバンドで。女性が性欲を歌ったり。

 

世代の違う、ババアの戯言ですね。

 

強烈なメッセージで世間の心を鷲掴みにするのはきっと難しいんだ。

 

 

 

アップダウン。

久しぶりに、どん底。最近2、3ヶ月すごく調子良かったから、その反動か、だいぶ低い。

 

いろいろが、私の頭の中をぐるぐるしていて、結局自分が諸悪の根源で、もっと完璧に生きなくてはとか、全部自分が悪いんだとか、今辛いけど、悟られないようにちゃんと笑ったりして過ごさなくちゃとか、

 

そんなことばっかり考えている。

 

1人で全部ちゃんと。パーフェクトに。だけど褒められるなんて思ってはいけない。私がパーフェクトになる事はない。そもそも私は欠陥だらけ。

 

そんな事、考えてどうするんだろう。普通に生きたかった。素直になりたかった。普通の毎日で普通に笑ったり泣いたりして、普通に。

 

なんで気がつくと、人を責めて自分を責めて、絶望して。

 

1人で全部ちゃんと。背負って潰れて立ち上がって、怪我した部分は抉って痛みを痛みで忘れさせて、もっと背負って次は潰れないように、追い込んで。

 

助けてって言える私だったら違ったかなぁ。それはもう、最も考えても仕方のない事だ。

 

私の情緒不安定なんて、日常のなかの、大河の一滴以下。1人で勝手に苦しめばいい。周りを巻き込まないように気をつけながら。

 

なんでかな。

なんで、誰か気がついて、って思うのかな。何を訴えたいんだろう。何を認められたいんだろう。何を褒めて欲しいの?全然分からない。

 

私のアップダウンなんて、本当にどうでもいい事。

 

あんなに、普通に過ごしてたのに。一昨日まで、元気だったのに。なのにもう、死にたくてたまらない。いつもの事ながら、死なずにまた気分はそのうち上がっていくんだろうな。

 

疲れたなぁ。自分に振り回されて。

 

会社に着いたら、元気よくおはようございますって言おう。

許す。

許さない過去があって、それが自分を苦しめてるなぁと感じるけど、許す事ができない。

 

ポジティブな思考になれとか、思い出に蓋をせよとか、感情に任せて泣くも良し、自分自身に手紙を書けとか、どれもイマイチ。

 

許すと忘れるは、似ているけど少し違う。

 

私はある時のすごく辛かった日々の事がすっぽり思い出せない。無かった日々みたいに、その頃の事が思い出せない。確実に過ごしたのに。

 

それは多分、思い出さない事で自分を無意識に守っているんだと思う。思い出したらまた、心が壊滅すると分かっているから。

 

許せない出来事は、その分類ではないらしい。どうしてもしまい込まない、しまい込むことでは解決できない傷のようで。

 

それを思い出すと、反動のように、自己嫌悪とか自責の念が湧いてきて、結局私が全ての諸悪の根源なんだと絶望的な気分になる。

 

許したいし、忘れたいのに。

 

そもそもポジティブな考え方が苦手で、私なんか死ねばいいと思って生きてるくせに、許せないなんて矛盾している。

 

私ごときが、何かを許す、許さないだなんて、傲慢にも程があるでしょう?だから、捨て去ればいいのにね。

 

この思考回路、なくなればいいのに。

 

少し話す息子の友達のお母さんが、最近離婚してシングルマザーになったんだけど、人生これからだよね?って不安そうに同意を求められた。

 

私もう10年シングルマザーやってるベテランだから、これからなのかどうか、全然分からない。もう終了後の人生をのらりくらり生きている気もしている。

 

これからだよ、大丈夫!って言った。誰かにそう言って欲しいんだろうな、と思う。決して不憫なんかじゃない。不幸でもない。大丈夫だよ。

 

辛い事のない人生なんかないだろうけど、もう多くは望まないからひっそり生きなくては。

 

仕事も最近は割り切って、機械のようにこなしている。Illustratorプラグインにエラーが出続けても、もういいや、と思う。ほっといたら、2週間くらいでアップデートして治った。人生そんなもんだ。

 

許したいな。忘れたいな。そんな事、起きなかった事にならないかな。

 

自分の心をえぐり続けて、これから何年生きるんだろう。

 

気がついたら、掌に3つ、爪の後が残っていた。また握り締めていたらしい。掌の皮は分厚いから、破けて血が出る事はない。

 

無意味。一体何に耐えているんだろう。

 

尊い命。

数日前、飼っていたハムスターが亡くなった。

 

少し食欲落ちたなぁ、と思った2日後の朝、天に召されていた。

 

寿命だったのか、病気だったのか、飼い方が悪かったのか、事故か、分からないけど、ハムスターは帰ってこない。

 

息子とたくさん泣いた。息子から、最期は笑顔で埋葬しようと提案されたけど、涙が止まらなかった。

 

息子はお墓に大好きだったおやつを並べた。ありがとうってつぶやいていた。

 

毎日餌をあげて、掃除していた習慣が抜けない。どこで寝てるかな?ってちらっと見るとそこにはもういない。

 

すごく可愛かった。いつもただいま、おやすみ、おはようって話しかけてた。

 

生き物だから、死は避けられない。人間に比べたら短い命。でも、命の重さは同じだ。私はあの日以来空虚な気持ちでいる。

 

小屋を見ないようにしている。いて欲しくて泣いてしまうから見ない。でも癖で、見てしまう。お腹すいたかな?あ、いないんだった。そんな事を繰り返している。

 

ハムスターなんて、また飼えばいいとは、思えない。少し時間をかけてゆっくり受け入れよう。

 

息子と私は空元気で過ごしている。お互いをそうやって励ましあってる。今はとにかく笑おうって。あの子もきっとその方が喜ぶよって。

 

自分の命は大切に思えないのに。でもなんだかんだ、大事なんだろう。大事だから今も死なずに生きているんだろうな。

 

身勝手な人生だな。私。

 

明日もまた、私は生きる。それがきっと普通の毎日。