余計なお世話。戯言。
余計なお世話だと思うんだけど、最近注目のバンドは、キーボードがいる率が高い気がする。
私は楽器全くダメなので、いるのといないのの、違いがよく分からない。なんとなく、見た目的に好きじゃない。
男子4人前後に女の子がキーボードっていう編成で、ポップでポジティブな歌を歌う。時代なのかな。
私は男っぽい音楽が好きだし、女性アーティストなら、破滅的な人たちが好きだよ。そういう時代を生きてきたからかもしれない。
高校生の時は、椎名林檎とかCoccoとか鬼束ちひろはもう少し後だけど、なんとも言えなく同世代の女性アーティストは破滅的な楽曲が多かった。
バンドも破滅的だった。ビジュアル系全盛期だったし。その中でもやっぱりhideは神だった。ブレなかった。みんな何かもがいてた。
ここ数年で割と破滅的な曲に出会ったんだけど、歌詞の意味が不治の病がどうとかネットで見て、薄いなぁと思った。歌詞の理解は聞き手次第だと思えばそれまでなんだけど。
不治の病って、架空の世界では使い古されてる。はい、感動作です!感がすごい。不治の病じゃなきゃ入り込めたのにな。でもこれも数年前か。この曲大好きすぎるーとかいうレビュー見ると、本当に嫌になる。
この女子キーボードの編成はセカイノオワリの影響ですかね。子供に人気の。
うすーい世界観の音楽が多いのは何故なんだろう。好きすぎてドキドキ、とか、キミは1人じゃないよ、とか。心を良くも悪くもえぐらないな。応援ソングとか、聞くと元気が出る!とか、みんなのうたみたい。私にはあんまりいらない。
同じように恋愛がテーマだったとしても、エログロかったりすると今は倦厭されるのかもね。それより、気づいてこの気持ち☆みたいな方が身近なのかな。バカ量産しそうな思考回路だ。
垂れ流すリビドーなんて、もう世間は受け入れないんだろうか。毎晩絶頂に達してるだけとか。
平和だ。うわっつらの。自分が一番充実してる為には、ポップでポジティブなの好きすぎるーが正解なの?
破滅的なんだけど、もがいて明日も生きるけど死んでもいい、みたいな人たちが欲しい。キーボードがいないバンドで。女性が性欲を歌ったり。
世代の違う、ババアの戯言ですね。
強烈なメッセージで世間の心を鷲掴みにするのはきっと難しいんだ。
アップダウン。
久しぶりに、どん底。最近2、3ヶ月すごく調子良かったから、その反動か、だいぶ低い。
いろいろが、私の頭の中をぐるぐるしていて、結局自分が諸悪の根源で、もっと完璧に生きなくてはとか、全部自分が悪いんだとか、今辛いけど、悟られないようにちゃんと笑ったりして過ごさなくちゃとか、
そんなことばっかり考えている。
1人で全部ちゃんと。パーフェクトに。だけど褒められるなんて思ってはいけない。私がパーフェクトになる事はない。そもそも私は欠陥だらけ。
そんな事、考えてどうするんだろう。普通に生きたかった。素直になりたかった。普通の毎日で普通に笑ったり泣いたりして、普通に。
なんで気がつくと、人を責めて自分を責めて、絶望して。
1人で全部ちゃんと。背負って潰れて立ち上がって、怪我した部分は抉って痛みを痛みで忘れさせて、もっと背負って次は潰れないように、追い込んで。
助けてって言える私だったら違ったかなぁ。それはもう、最も考えても仕方のない事だ。
私の情緒不安定なんて、日常のなかの、大河の一滴以下。1人で勝手に苦しめばいい。周りを巻き込まないように気をつけながら。
なんでかな。
なんで、誰か気がついて、って思うのかな。何を訴えたいんだろう。何を認められたいんだろう。何を褒めて欲しいの?全然分からない。
私のアップダウンなんて、本当にどうでもいい事。
あんなに、普通に過ごしてたのに。一昨日まで、元気だったのに。なのにもう、死にたくてたまらない。いつもの事ながら、死なずにまた気分はそのうち上がっていくんだろうな。
疲れたなぁ。自分に振り回されて。
会社に着いたら、元気よくおはようございますって言おう。
許す。
許さない過去があって、それが自分を苦しめてるなぁと感じるけど、許す事ができない。
ポジティブな思考になれとか、思い出に蓋をせよとか、感情に任せて泣くも良し、自分自身に手紙を書けとか、どれもイマイチ。
許すと忘れるは、似ているけど少し違う。
私はある時のすごく辛かった日々の事がすっぽり思い出せない。無かった日々みたいに、その頃の事が思い出せない。確実に過ごしたのに。
それは多分、思い出さない事で自分を無意識に守っているんだと思う。思い出したらまた、心が壊滅すると分かっているから。
許せない出来事は、その分類ではないらしい。どうしてもしまい込まない、しまい込むことでは解決できない傷のようで。
それを思い出すと、反動のように、自己嫌悪とか自責の念が湧いてきて、結局私が全ての諸悪の根源なんだと絶望的な気分になる。
許したいし、忘れたいのに。
そもそもポジティブな考え方が苦手で、私なんか死ねばいいと思って生きてるくせに、許せないなんて矛盾している。
私ごときが、何かを許す、許さないだなんて、傲慢にも程があるでしょう?だから、捨て去ればいいのにね。
この思考回路、なくなればいいのに。
少し話す息子の友達のお母さんが、最近離婚してシングルマザーになったんだけど、人生これからだよね?って不安そうに同意を求められた。
私もう10年シングルマザーやってるベテランだから、これからなのかどうか、全然分からない。もう終了後の人生をのらりくらり生きている気もしている。
これからだよ、大丈夫!って言った。誰かにそう言って欲しいんだろうな、と思う。決して不憫なんかじゃない。不幸でもない。大丈夫だよ。
辛い事のない人生なんかないだろうけど、もう多くは望まないからひっそり生きなくては。
仕事も最近は割り切って、機械のようにこなしている。Illustratorのプラグインにエラーが出続けても、もういいや、と思う。ほっといたら、2週間くらいでアップデートして治った。人生そんなもんだ。
許したいな。忘れたいな。そんな事、起きなかった事にならないかな。
自分の心をえぐり続けて、これから何年生きるんだろう。
気がついたら、掌に3つ、爪の後が残っていた。また握り締めていたらしい。掌の皮は分厚いから、破けて血が出る事はない。
無意味。一体何に耐えているんだろう。
尊い命。
数日前、飼っていたハムスターが亡くなった。
少し食欲落ちたなぁ、と思った2日後の朝、天に召されていた。
寿命だったのか、病気だったのか、飼い方が悪かったのか、事故か、分からないけど、ハムスターは帰ってこない。
息子とたくさん泣いた。息子から、最期は笑顔で埋葬しようと提案されたけど、涙が止まらなかった。
息子はお墓に大好きだったおやつを並べた。ありがとうってつぶやいていた。
毎日餌をあげて、掃除していた習慣が抜けない。どこで寝てるかな?ってちらっと見るとそこにはもういない。
すごく可愛かった。いつもただいま、おやすみ、おはようって話しかけてた。
生き物だから、死は避けられない。人間に比べたら短い命。でも、命の重さは同じだ。私はあの日以来空虚な気持ちでいる。
小屋を見ないようにしている。いて欲しくて泣いてしまうから見ない。でも癖で、見てしまう。お腹すいたかな?あ、いないんだった。そんな事を繰り返している。
ハムスターなんて、また飼えばいいとは、思えない。少し時間をかけてゆっくり受け入れよう。
息子と私は空元気で過ごしている。お互いをそうやって励ましあってる。今はとにかく笑おうって。あの子もきっとその方が喜ぶよって。
自分の命は大切に思えないのに。でもなんだかんだ、大事なんだろう。大事だから今も死なずに生きているんだろうな。
身勝手な人生だな。私。
明日もまた、私は生きる。それがきっと普通の毎日。
思い立って、海外旅行。
息子とグアム行く事にした。
2人だと安い!トップシーズンだから激安って訳ではないけど、大人2人とか家族でとかを考えると、だいぶ抑えられる。
子供は色々半額でありがたい。
思いつきで申し込んだので、難問がいくつかありました。
まずはパスポート。私のはとっくに切れてるし、息子は初海外だし、2人とも取らなくてはダメで。
その1。戸籍謄本。
区役所閉まるの早すぎ。仕方がないから打合せ直行の日に朝イチ区民事務所に行ってもらってきた。この時ついでにパスポート申請書をもらう事に成功。
その2。パスポート取得。
申請出すのは平日のみ。これは代理でも可なので、まず写真を近場の証明写真でとって、パスポート申請書を事前に記入。
息子にサインだけ書かせて、これは仕事の合間に私のと2人分申請書を提出しに行く。息子の身分証は、保険証と母子手帳。久しぶりに母子手帳が活躍した。
その3。パスポート受け取り。
申請は代理でも可なのに、受取は本人。これは平日に加えて日曜日も行けるので、日曜日に息子を連れて取りに行く。
まあここまでは、普通の難関。
ここから先がプラスα。
その4。渡航同意書。
片親が子供とアメリカ圏に行く場合、渡航同意書が必要。必ず提出しなきゃいけない訳ではないけど、何かあった時ないと大変らしい。
全文英語でもう嫌だ。記入例も不親切。英語勉強しなきゃだなぁ。
その5。戸籍謄本英語。
片親が子供と渡航する時、行かない親のサインが渡航同意書に必要なんだけど、私みたいに元旦那と音信普通の人は、戸籍謄本に英訳を書いて持っていく必要がある。
戸籍謄本の英訳…。もう嫌だ。私が何をしたと。。離婚か。片親ってそうなんだなぁ。仕方ない。片親って事で色々恩恵を受けたわけだし、このくらい頑張ろう。
さて、これで準備は整った。後は成田までの往復と、グアムに着いてからのオプションツアーの申し込み。現金をドルに換金するのと、あとなんだろうな。やり忘れてる事ないかな。
グアム初めて行くけど、たぶん日本語で行けると思ってる。でも、喋れたら便利だよなぁ。
日本も観光客増えて、私はよく道を聞かれるけど、みんな英語で話しかけてくる。
私英語話せないから、単語を何とか聞き取って、右にまっすぐファイブミニッツゴー!みたいな道案内をよくする。少しは喋れるようになりたいなあ。
今日は都知事選だ。誰に入れようかなぁ。マック赤坂かなぁ。
選挙はなるべく行くようにしてる。別に意識が高い訳でも、政治に参加している訳でもない。昔仕事で選挙管理委員会と関わった事があって、それ以来、選挙行こうかなぁって思うようになった。私の一票で何か変わるとは思ってない。
別に今の世に不満はない。不満はもっと小さい事で、政治で解決して欲しいほど、私の人生のスケールは大きくない。
雇用問題とか賃金とかね、法を整えても中小企業には関係ないからね。中小企業は違法しないと倒産しちゃうのよ。そうならない世の中にする為に必要なのは政治ではない。
割と快適に過ごしていると思う。国とか都とかの単位では。区レベルでも不満はない。それは東京だからかな。
きっと私は幸せなんだ。
欲を言えば、働く時間を短くしたい。残業したくない。それはでも、自分の力量で何とかなる事だ。
耳管開放症。完治しない。
耳の不快感が何なのか分からないまま、もう10年くらい放置している。
突発性難聴かなー?とかメニエール病かなー?とか時々悪化しても完治はしない。
今朝もひどい耳鳴りと閉塞感と、自分の声が耳の中に反響していて、もうやだ、と思っていた。
打ち合わせをしていても、例えば「この件につきましては」の「この」「に」「しては」の部分だけ耳の中に反響する感じて、相手の声とか周りの音が被ったらもはや、銭湯の中みたいで。
いつもなら午前中には治るのに。と思いながら打ち合わせ戻りの電車で調べた。
もう何回も調べてるんだけど、これといった解決策はない。
それでもいろいろたどっていったら、耳管開放症に辿り着いた。まあ、ここにたどり着くのも何度目かで、目新しい情報ないかなぁって漁ってたら、頭を深くお辞儀させると治るって書いてあった。
そんな訳ない。と思ったのに、騙されたと思ってやってみたら騙された。すっと治った。
あ?あー!あー?!えー?あー!えー!って突然お辞儀をした後、変な独り言を秋葉原のホームで繰り返していたのは私です。
さて、この頃の私と息子と彼ですが、なんだか迷走しています。
彼が結婚をようやく視野に入れ始めました。なのに私と息子は別にいい…という具合です。
私は結婚をしたかったのだけど、その時期を逃してしまい、もう今から沢山のハードルを超えてまで結婚して、メリットの方が少ないと思い始めてしまっています。
息子の年齢とか、息子の気持ちとか、親の事とか、仕事とか、お金とか。いろいろタイミングではなくて。
息子は、結婚するのは俺じゃなくてママだから、したかったらすればいいじゃん。って感じで、パパが欲しいと言っていた時期も過ぎ、大人の階段を上り始めました。
彼は田舎の長男で、実家を継ぐ気もないくせに、長男だから婿入りはできないと言い張るので、私は息子の名字を変える気もないし、私と別の戸籍にする気もないので、結婚できないじゃん、とさらりと思う次第です。
メリットは経済的安定と精神的安定。
その2つとも私が頑張れば叶う事。今はお金にそこまで困っていないし、心の安定は少しずつだけど良くはなってきている。本当に少しずつだけど。
デメリットは、息子の生活が大きく変わる事。息子の生活を大きく変えてまで?お金と心?
正直、彼と最近うまく行ってるのは、私が結婚を諦めたからだと私は思っていて、諦めた私は心なしか解放感からか明るくなって、彼はそんな私を見て、この感じならいける!と思ったみたいで。
すれ違ってます。完全に。
結婚?息子が成人したら考えるわ。って感じで。彼だろうと、別の人だろうと。今の私に伴侶が必要なく、今の息子に父親は必要なく。もう私たち親子は2人で生きようって決めちゃったからな。
友達ならいーんじゃないかと。私の友達であり、息子の友達。それが一番心地いいんだけどな。
なんか伝わらない。言ってるんだけど、希望に満ち溢れてて、伝わらない。遠慮してると思われてるのか、いじけてると思われてるのかは分からないけど。なんか、伝わらない。
息子と彼は仲いいんだけど、それも後1年2年の話だろう。
やっぱりもっと前に、別れるべきだったなぁ。
くたびれた。アイデンティティ。
疲れた、とも違う。私くたびれてる。
疲労は回復するだろうけど、くたびれてしまったらもう回復しない感じがする。
ここ3日忙しくて、あんまりよく眠れていないせいだ。睡眠時間短いのもあるけど、おかしな夢を見て目が覚めたり、寝つき悪かったり。
久しぶりに焦燥感が襲ってくる感じ。そわそわして、どうしようがめぐる。
対処法も随分学んだ。客観的に自分の感情を観察する事。あ、私イライラしてる、とか、私今悲しいとか、そういうの。
それもそれで、なんだかしんどい。
昔会社で受けたセミナーで、朝起きたらカーテンを開けて、今日もいい1日!と声を出して笑顔で言いましょう、と教わった。
いい1日ってなんだろう、とか考えるあたり、ポジティブに生きる事がそもそも向いていない気がする。自分と向き合うのしんどいな。
私は本当はこういう人で、それがダメだと言われてきたけど、今はもういいんだよって、言い聞かせたところで、なにも起きない。
くたくたに疲れて家路に着いても、家の中で完璧にしないとまた罵られると思ってしまう。そんな事起きない時もあるんだけど、虫の居所を探るくらいなら完璧を目指していた方がマシだ。
完璧になんてなれないから、完璧になる努力を止めてはならないと決めた。不良品だから、完璧な人にはどうしたって叶わないから、人一倍努力が必要。
努力して普通。努力しなくなったら不良品。
疲れると感情がぐちゃぐちゃになる。だから多分眠れないんだ。
朝起きて一言目に、ごめんなさい、と口から出た。
昨日は帰りが遅かった。起きようと思ってた時間を5分過ぎてた。いつもより早いから息子を見送れない。息子の朝ご飯の洗い物ができない。リビングの掃除もできなかった。
それが多分、ごめんなさいの理由だ。私は誰に謝ってるんだろう。今日もいい1日!なんて、全く思い浮かばなかった。
家に帰って、いろいろやる事があって、しんどいなと思いながら、私頑張れ、と口から出た。最近無意識の独り言ばかり。
やればできる、私頑張れ。その気持ちで寝たら、朝起きたら、ごめんなさい。完璧になれなかった昨日の自分に。
どんなに頑張っても完璧になれないのに、ずっとそれを目指すのは嫌だなぁ。自分では望んでない人物像に近づくたゆまぬ努力。それは誰の為なんだろう。
昔テストで90点取って、少し喜んだら、100点以外は0点と同じ、と母に言われた。
私は毎日家で、今日もあなたは0点でした、と言われてる気がしてしまう。言われてないのに。もう20年以上前に言われた、他愛のない一言なのに。
もう自分が人間であるかすら危うい。また少し完璧から遠のいてるかもしれない。
そしてすごく、眠い。