うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

ありがとうの意味

うちの祖母は父方も母方も、二人揃って20年近く未亡人の末、要介護認定をされる程に長生きしている。

 

もう生きるの疲れた、とよく言う。

 

父方の祖母は一緒に暮らしてるけど、世話は父の仕事。母方の祖母は関西にいて、母の姉が近くに住んで世話をしている。

 

父も伯母も、ありがとうありがとうと何回も言われるとなぜだかわからないけどイライラする、とこぼしている。

 

親というのは、子供がずっと子供で、子供の機嫌をとる事が1番喜ぶって思ってるから、たくさんありがとうが言いたいんじゃないかと、親になって10年の私は思う。

 

でも、子供も大人になって、機嫌を取られたらお母さん大好き、な歳ではなくなっていて、日々終わりの見えない介護生活に疲れ切っていて、浴びせるようにありがとうを言っても、届かなくなってしまっているのかな、と思う。

 

そう思ったのは、誰かのツイートで、

大人の「好き」は多くの場合「この人を大切にしてあげたい」だが、子どもの「好き」は「この人に自分の機嫌をとってほしい」である。しかし、大人になっても子どもの心ままに「好き」を使う人がいるので、横から見ると「どうして好きと言いながら、こんな酷いことをするのだろう」という事例が出る。

 

というのを見つけて、なんとなく繋がった。私の祖母の例は逆パターンで、この子の機嫌をとってあげたい、がいらない言葉になってしまっているのかと思う。

 

ありがとう助かるわ、と言われてももう、お母さんに褒められたなんて達成感ではやり切れない思いが介護生活にはあるような気がする。

 

母は、どちらの祖母の面倒も見ない。私には無理、の一言でかわしている。私は父と母の面倒をいつか見るんだろうというやんわりとした覚悟があって、無理の一言で逃れている人の面倒を見るのはやるせないなぁと、なんとも言えない辛い気持ちになる。

 

同居の祖母は、認知症ではないけどもうすぐ100歳で、私のとこを時々忘れて時々思い出す。

 

朝、今日はうちに泊まるの?って聞かれたり、久しぶりねぇって言われたり、かと思えば、早く再婚しなさいよって言われたり、名前はたまに忘れちゃうけど出戻りの孫かしら??くらいには覚えているっぽい。

 

エアコンが消せないって困ってることが多いから、いつも消してあげると、ありがとうありがとう、あなたは賢いわってすごくすごく褒められる。

 

私は腹が立たないけど、これが親だったら腹立つな、と思う。不思議。親子って難しい。

 

母に、私はいずれ、いつかは分からないけど、息子の成長の丁度良いタイミングで家を出ると伝えた。

 

ずっとダメだと言われていたけど、家のローンを私が払い続けると言うのと、世話が必要になったら通いで世話をすると言う条件で許可がおりた。

 

感情的にならずに、淡々と話すことで、あの人のヒステリーも刺激しないで済んだようだ。このところ、平穏だ。

 

家を出るのがいつになるかは分からないけど、ここに居続けなくていいと言う許可は、私を解放した。やっと鎖が切れた感じがする。

 

母の呪いから少しずつ解放されて生きたい。通いで世話をするようになったら、ありがとうを浴びせられて、すごくイライラする気がしてならないけど。