うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

自分の人生を生きる。

先日、母方の祖母が亡くなった。

 

母を強烈にわがままにしたような人で、似た者同士のせいか、仲の悪い親子だった。

 

体をたくさん悪くして、20年ほど、未亡人として一人で生きた。

 

晩年は、ほとんど家からも出す、おじいちゃんとの思い出の家で静かに暮らして、最後は病院で静かに亡くなったそうだ。

 

私にとっては少しわがままだけど、優しいおばあちゃんだった。

 

でも、母にとっては毒親だったようだ。恨み言や悪口ばかり出てくる。とても、とてもそっくりなのに。

 

自己愛性パーソナリティ障害、というのを最近知った。パーソナリティ障害も細分化されてきたようだ。

 

祖母も母も、これに該当する。おそらく私も。

 

私は、自覚がある。だから気をつけることができる。旦那や息子に、なんかわからないけど、今日は機嫌が悪いから助けてって言えるようになった。

 

人の心を傷つける言い方や言葉を学習したし、甘えたい時は喚くんじゃなくてそっと身を寄せる事も知った。自分の事よりも、息子や旦那の気持ちを考えることができるように、たぶん少しずつなってきた。

 

まだ、できない時もたくさんあるけど。

 

母は、相変わらず私に構う。私に構っては、ダメ出しをして、得意げに自分の話をたくさんする。

 

離れて暮らしてからは、まだ、キレられてはいない。父がだいぶ、一極集中されているようではあるけれど。

 

私は、母の元を離れて、やっと自分の人生生きている実感を持てた。たった数百メートル離れただけなのに、ここは別世界だった。

 

むやみに自分の感情を殺さなくていいというのは、こんなにも楽に生きることができるんだと、浅かった呼吸が深く安定しているのを感じる。

 

今は下の子が夜泣きしたり、ぐずることが多くて、後追いも激しくて、すごく大変なんだけど、これって凄い幸せなんじゃないかと思う。

 

母は、私を支配できなかった。

 

私には息子しかいない。それは、ここで母娘の毒ループを断ち切れという思召しなんじゃないかと思う。そう思う事にして、私は母を、許す事にした。

 

許せないっていう気持ちを、持ち続けることがもうできなくなった。母の存在が私の中で小さくなってしまったのだ。

 

あんなに私を占拠していたのに。

 

何もかも。いい事も悪い事も、私の感情を母が占拠していた。

 

今は力を抜いて生きることができている。

 

おばあちゃんは綺麗な顔で安らかに眠っていた。幸せだっただろうかと、心配になる。思い通りにいかないことだらけで、ストレスの塊だっただろうな。

 

それでも私はおばあちゃんは好きだった。私に向ける笑顔は優しかったから。

 

私は今は、母の事も嫌いじゃないと言える。全然好きではないけど、嫌いではない。私をもっと自分の分身ではなく私個人として、愛して欲しかったなぁとは思うけど。

 

もう何も望まない。私は母の呪縛から逃れて、今、ちゃんと幸せになった。

 

 

息子の彼女。

中1の息子が、彼女を連れてきた。

 

おんなじクラスの大人しめな女子だった。

 

めがねをかけた、可愛い子を連れてきた。

 

うちは男の子2人で、男子中学生ばっかり遊びに来てて、ファンタとポテチばっかりだったから、何飲むの?おやつは??紅茶とマカロンとかなの?って私が舞い上がってしまう。

 

健全な中学生カップルは、ゲームして、中間テストの勉強を始めた。

 

息子が彼女に数学を教えるらしい。

 

彼女は、ご飯をすごくゆっくり食べるらしい。

 

字がちっちゃいらしい。

 

声もちっちゃいらしい。

 

男の子の家に入るのが恥ずかしくて、玄関の前にしゃがみ込んでしまうらしい。

 

そう言う女の子になりたかったなぁって、ほんとつくづく思った。

 

ほんと、可愛い。

 

スカート履いた子が家にいるだけで、ふぁーってなる。

 

だっていつも、ジャージとかのちょっと臭い男の子しか来ないから。

 

ちっちゃい声で、お邪魔しますって言った彼女の、背景にお花が咲いてる。

 

あのいつもの男子たちの、おやつおかわりー、麦茶くださーい、は、なんなの??wi-fiのパスワード教えてくださーいとか。

 

可愛い。女の子可愛い。女の子ステキ。女の子産みたかった。

 

小学校の時、出席番号が近くて、何回も隣になったり掃除当番が一緒だったり、なんだかんだで仲良くて

 

このところ毎日LINEで会話してて、なんかそうなったようだ。

 

息子は私と違ってリア充だ。超羨ましい。超羨ましい。超羨ましい。そんな中学生やりたかった。

 

あー、いーなー。ほんと。

 

彼女ともっと仲良くなりたいなぁ。

 

 

 

檻の中。

これはどんな因果かわからないけれど、

 

私が幸せだったり楽しかったりすると、

 

身近な誰かがストレスを爆発させる。

 

どんな因果か。

 

私は楽しいと人にストレスを与えるような人格になると言うことかもしれない。

 

浮かれて、嫌な奴になっているのかもしれない。

 

そして誰かがストレスに侵されると

 

私は、感情なんて持ってはいけなかったんだと再認識する。

 

何度も、何度も。

 

わかっているのに、幸せを感じると楽しくなってしまって、浮かれてしまう。

 

傍若無人なんだろうか。

 

わがままが過ぎるんだろうか。

 

私のくせに。

 

普通の人は楽しいと、周りの人も楽しくさせるのに

 

私は楽しいと人を苦しめるらしい。

 

「楽しい」の体現が下手なのか。

 

このところ楽しく過ごしていたら、旦那が昨日ブチ切れた。

 

俺をバカにしてる、って。

 

バカにしてるつもりはなくて、お互い疲れてるのもあって、何も言えなくて、涙がちょっと出た。

 

そして昨日から、楽しいのをやめた。

 

幸せも、やめた。

 

わきまえることを忘れてはいけない。

 

私のくせに、幸せを感じるなんて。

 

あえて人に頼らず

 

あえて苦しい道を選ぶ。

 

あえて1人になり

 

あえて孤独に身を置く。

 

あえて光から遠ざかり

 

あえて涙の近くにいる。

 

そうしないと、人との距離を間違えて、傷つけてしまう。

 

一人でいれば、誰も傷つかない。

 

私が口も心も閉じればみんな幸せ。

 

分かっているのに、また浮かれてた。 

 

きちんとした孤独を、身につけなければ。

 

誰かのそばにいたい。

 

長男の笑顔が好き。

 

次男のぷりぷりのおしりが好き。

 

そう言うの微笑ましく見ていたいだけなのに。

 

きちんと孤独の中に身を置く事を怠ってはいけない。

 

幸せを感じてはいけない。

 

辛くて悲しくてもいけないから、無になって、何もなくなって、あの時のように、おかしくない程度に少し笑うようにして。

 

孤独で寂しくて助けて欲しくて、ここから出たいとずっと思っていたけど、それを願うことがそもそも間違っていたんだ。

 

孤独が私の居場所だったんだ。

 

母は、いまだに干渉してくる。それでも別々に暮らすことで、だいぶ私は楽になった。

 

それがいけなかったのかな。

 

私が楽になってしまったから。

 

調子に乗ったのかな。

 

忘れないように刻みたい。心に。深く。

 

私は、ひとりだってことを。

 

私は、無でなくてはいけないって事を。

柔く、小さな手。

生後半年になった次男は

 

眠りが浅いと泣き出してしまう。

 

その時手を握るだけで、またすやすや眠りに落ちる。

 

その手の柔らかさに、毎夜驚く。

 

無垢な手。

 

ふわふわの手。

 

 

 

私はとうとう、実家を出る。

 

息が詰まりそうだった、一生出られないと思っていた実家から。

 

私がローンを払い続ける家を残して

 

私達家族は賃貸マンションに引っ越す。

 

母と父と祖母を残して。

 

平均年齢77歳。

 

やっと、離れられる。

 

やっと、逃れられる。

 

やっと、解かれる。

 

そんな気分。

 

家は私の名義だけど、いらない。

 

親たちが死んだら売るつもり。

 

二度とここには住まない。

 

息子たちが住みたいならあげる。

 

私はいらない。

 

もうほんとうに、ここにいるのが辛かった。

 

私も人の子の親になって、息子が中学生になろうとしていて

 

あの頃の、あの一番死にたかった頃の自分の年に近づいていて

 

親のせいで子供が死ぬことを考えて、その呪縛から逃れられずに生き続けるなんて

 

ほんとうにこわいと思う。

 

私の考えや教育方針や、発した言葉や態度なんかで

 

息子がそんな事を考えて、生涯苦しむなんて

 

ほんとうに辛い。

 

私は母にそれとなくその事を伝えたことが何度もあって、その度にそんな事あるはずないと否定されてきて

 

もう、分かってもらう事も諦めて、母を許して、それでも自分を認められずに生きてきた。

 

たった一言、ごめんねって言ってくれたら終われたのに、終われないまま、私は自分で自分を許した。

 

憎むのをやめて、許さない気持ちを捨てた。

 

家を出ても、息子の通学のことを考えて、そんなに遠くには行かないから、まだ踏み込んで来そうで怖い。

 

逃げて逃げて逃げて。

 

遠くへ、もっと遠くへ。

 

私は自由になりたい。

 

考えたり、笑ったり、泣いたり。

 

自分の意思で自由にしたい。

 

自由に、子育てをして

 

家族4人でゆっくり呼吸をして生きていきたい。

 

誰にも否定されずに。

 

母のストレスや苛立ちの立ち込めたこの家は

 

母の城だ。

 

二度と帰らないかもしれない。

 

それでもいい。

 

父は少し背中を押してくれている。

 

行け、早く飛びたてって言ってる気がする。

 

母はまだ、私なのか息子なのかに執着している。息子かな。

 

寂しいのはわかるけど、こんなに長々可愛がって酷い仕打ち、って言われた時にはほんとうに、どうしてか、本当に。

 

父とは今、たくさん話をするようになった。

 

私と同じ気持ちだったり、私の気持ち分かってくれてたりしたんだって、今更たくさん知った。

 

だけど、当時何もしてくれなった。でも、分かってくれていただけで救われた。

 

何もさせてもらえなかったんだって父は言った。言わなかったけど、ごめんねって感じた。

 

だからもういい。

 

今更だけど、ここを離れて、自分を取り戻したい。

 

ありがとう。さようなら。

 

私のお母さん。

興味のない話。

私の感情について。

 

それは誰も興味がないだろう。

 

2人目の出産を終えて、新しい生活にパニックになりかけながらも、あれもこれも追われて

 

気がついたら、旦那が倒れた。

 

原因はストレスだって。

 

ほぼ、ストレスの元凶は私だろう。

 

私は、連れ子の息子と、二人目と、旦那の間にいて、いつもキリキリしていた。

 

寝不足だし。

 

そしたら、旦那が全部我慢していて、旦那のストレスが限界になって、倒れた。

 

私は不安でたまらなくて、自分を責めて、それがまた旦那のストレスになって

 

悪循環に陥って

 

結局、感情がやっぱり邪魔なんじゃないかと思い始めた。

 

息子達を可愛いと思う気持ちすらも、誰かのストレスに変換されてしまうかもしれない。

 

無にならなくちゃいけない。連れ子息子を、必要以上に擁護してしまうけども、それもストレス。

 

私は私のくせに、幸せを手に入れようとしたことを激しく後悔している。

 

そのせいで、息子達も旦那も、不幸にしてしまっている。

 

だからって、死ぬわけにもいかず

 

無責任な親で、本当に情け無い。

 

私は息子達を幸せにしたい。なのに私が不幸にしてる。

 

誰も幸せにできない。

 

幸せに育てたい。一緒に、家族四人で。

 

今までどうやって、この渦の中から出てこれたのか、思い出せない。

 

今まで一人で這い上がれていたのに、どうしていいかわからない。

 

笑えない。すぐ涙が出る。息が苦しくなる。喉が詰まる。ぼんやりする。耳鳴りがする。

 

このくらいは、立て直さないと。薬とかそういうものに頼らないで、自分の力で。

 

旦那に甘えすぎてきた。

 

きちんと一人で立ち上がらなければならない。

 

だから私には無理だったんだって言いたくない。

 

旦那を解放して、どこにでも好きに行ってもらおう。私にとどまらないように。

 

息子達を愛してくれてありがとう。私のことはもう大丈夫ですよ。一人で生きていけます。

 

言葉にして伝えてしまうとまたストレスになってしまうから、心の中だけで。

 

一人で大丈夫。

 

ほどほどに寄りかかれなくて、重たくなってしまうから、一人で生きていきたい。その気持ちは多分、誰にもわからない。

 

口を開かないように。

 

感情を持たないように。

 

私は無になる。悟られないように。

 

あの人から離れる。適度に笑う。適度に話す。何も言わない。我慢もしない。ただ、無になる。

 

お母さんは、少し壊れています。治ったと思っていたんだけど、もう治らないみたい。

 

死んでしまっては、子供達が困るから。泣いてしまうから。死んだりはしない。

 

楽しそうに生きて行け。

 

私は一人で大丈夫。

 

どうして甘えてしまったんだろう。

 

後悔しても何も生まれない。

 

寄り添い方が分からない。

 

力加減がわからない。

 

距離感がわからない。

 

だから、一人で生きていく。

 

 

戻るところ。

聲の形を見た。

 

かつて私はいじめる側とイジメられる側を行き来した事がある。

 

小学校高学年の時。割合的には7:3でいじめる側の方が多かった。

 

いつ、自分がイジメられる側になるかわからない。

 

だから先にいじめる。先に悪口を言う。先に味方を増やす。

 

それでも自分がイジメられる側になった時、絶望的な気持ちになった。

 

イジメられると言っても、無視されたり、ハブられたり、体ではなく心を攻める方法ばかりで、金銭が絡まなかったのが不幸中の幸い。

 

そのノリで、私は私立の中学校へと進んだ。

 

ローカルルールを世界の常識くらいの、間違ったノリで。

 

さっそくできた友達から、1人選んで仲間外れにする。悪口を言う。

 

そして私の身は安泰だと思っていたのに、気がついた頃には、私は全く友達がいなくなった。

 

私は知らなかった。みんなが仲良くする世界があるって事を。いじめる、イジメられるが交代制ではない世界があるって事を。

 

私はいじめられなかった。みんなそんなに子供ではなくて、ただ、友達のいない子になっただけた。

 

それでもクラス替えのタイミングで、少し話しかけてくれるこがいた。

 

少し仲良くなっても、その子にはもう仲のいい友達がたくさんいるから、結局席替えの時に離れるともう話すことはない。

 

私は出足を間違えた。後悔しても反省しても、友達はできなかった。

 

その頃の私は成績も悪く、母の毒牙にかかっている真っ最中で、それで死のうと決意していた。

 

中2の時、15歳の誕生日に死ぬって決心した。

 

周りからヤバイやつだと思われて、友達もいなくて、親にもけなされ続けて、ただ全部自分が悪いって事は分かっていて、後悔してもダメで、高校にも上がれないって言われて、生きている価値がなかった。

 

誰にも、何かを相談する術もなかった。

 

なんで死ななかったのかというと、単純に死ぬのが怖くなって、あと10年だけ、生きさせて下さいって、自分に縋った記憶がある。

 

そこからの私は、カウントダウンを始めて、10年後の25歳に向けて、うつ病になってしまった。

 

今度こそ死ななければ、と言う焦りに押しつぶされて、心がじわじわ壊れていった。

 

もちろん10年もあったから、楽しい時もあった。たくさん人間関係を学んで、きっと普通の人はこれは傷つくんだとか、嫌な気持ちになってるんだとか、これは冗談とかの区別もつくようになった。

 

彼氏もいて、依存して、捨てられて。体と心の距離感は、全然わからなかった。

 

25歳になる頃にはすっかり病んで、精神科に通っていた。

 

死ぬって騒ぐ事も多々あった。

 

付き合っていたろくでなしと結婚して、ひどい暴力を受けながらも生きたいと死にたいの間にいた。

 

妊娠して、子供が生まれて、逃げるように離婚した。

 

聲の形を見るまで、自分がいじめたりイジメられたりしていたのを忘れていた。

 

忘れたかったんだろう。そこから私は間違えたのだから。

 

人が自分のせいで傷つくのはとても怖い事だ。それを痛感した私は、今は1人が1番いいと思えるようになった。

 

自分のせいで、誰かが悲しむのはもう嫌だ。

 

でも私は人の気持ちがよく分からない時があるから、1人でいよう。

 

その私がもうすぐ2人目の子を産む。

 

旦那が優しい。義両親も優しい。息子も優しい。

 

優しくないのは相変わらずな母と、無関心な父。

 

私は今、誰かに優しくしてあげられてるのかな?

 

誰かに優しいねって思ってもらえてるのかな?

 

 

 

ひとつひとつ、壊していく事。

昨日起きた出来事は、私の中では消化されたようだ。

 

悪夢にうなされて、朝起きて、息子と旦那が寝てる部屋に移動して、2人の間に挟まって二度寝した。

 

途中過呼吸になりそうになったら、旦那がどーした?ってなんか体をさすってくれた気がする。

 

息子の足が、背中をぐっと押してくれていて、ちょっと気持ちよかった。

 

間に挟まれて、すごく暑かった。

 

でも2人にくっついていたら、心が落ち着いた。

 

昨日、悪かったのは私だ。感情的になったのも私だ。謝ってももうダメなほどに母を怒らせたのも私。

 

母に落ち度はない。私がきっと無意識に彼女を傷つけて、母はそれを許さないだけだ。

 

まだ生まれていない子のお宮参りを台無しにしてしまった。

 

出産の日は朝からつきそう!と張り切っていた母に、病状説明は生まれた子の両親にしかしない病院だから家にいて、息子が学校から帰ってきたら一緒に連れてきてってお願いした。

 

それが、自分は不要だと言われたみたいに感じたのかもしれない。

 

私も姉も長男に嫁いで不憫だ可哀想だ最悪だって言うから、うちの義両親は遠いし、優しいから全然大丈夫。何番目だろうと一緒に暮らすのが一番大変って言ったのも良くなかった。

 

義両親と同居している母も慮ったつもりが、私が母と同居している事が苦痛だと伝わったみたいだ。

 

そこに加えて、お宮参り。母はどれだけコケにされたと思っただろう。

 

この、手のかかるクソ娘に。

 

だからきっと、客観的に見たらどっちもどっちで、私がちょっと無神経だった、という結論なんじゃないかと思う。

 

どっちが悪いかあえて決めるなら、母の激情型の性格を分かっていて刺激してしまった私に非があるだろう。

 

ひどい悪夢を見た。犯罪者になる夢。世の中には犯罪を犯す人と犯さない人の2択で、私は犯す方だった、と思う夢。

 

全てを台無しにして、たくさんの人を傷つける側の人間。

 

本当の孤独に落とされる夢だった。

 

目が覚めて、旦那と息子の間で二度寝してる時は、夢は見なかったけどうなされた。

 

後悔が、溢れ出て。

 

謝れないのも私の悪い癖で。謝ってもまた追い討ちをかけるように責め立てられるのが分かっているから、それを受ける覚悟ができなくて、謝りに行けない。

 

 家にこもると辛いから、近所のカフェに来た。

 

アイスのデカフェを頼んだらホットカフェラテが出てきて、泡が熊になってて、アイスのデカフェ頼んだって言えなかった。

 

一生懸命描いてくれた熊を、台無しにしたくなかった。レジでマグカップでいいですか?って聞かれた時に、??って思ったのに。その時に言えばよかった。

 

私は少し家から出て、1人で外の空気をゆっくり吸いたい。

 

産まれたらまたあの家に軟禁されてしまう。

 

そして自分の息を止めてしまう。まるで生きていないみたいに。でもそれが一番の平穏。

 

死にたいなって思ったらダメなのに。溢れ出て止まらない。

 

妊婦だから、ホルモンのバランスが崩れてるせいにしよう。

 

壊したのは私だ。いつだって私は壊していく。幸せなんてすごく脆くて、儚い。