うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

2周回って、また好き。

私は中学高校くらいの間、B’zがすごく好きでライブにも結構行ってた。

 

今は名前が違うけど、千葉マリンスタジアムに2日連続行って、同じツアーで横浜スタジアムにも行って、とかやってた。

 

ハタチ前後で、自分が変わったのか、音楽が変わったのか、だんだん自然と好きじゃなくなって、ライブどころかCDも買わなくなった。

 

それから、紆余曲折あって、そして例の?彼に出会い、なんやかんや話していたら同じ時期に同じくらいの思いでB’zが好きだった事を知り、急激に仲良くなった。

 

同じ時期にB’zから離れていて、その原因も同じようになんでだか分からないけどなんとなく好きではなくなってしまっていた。最初に買ったCDも、最後に買ったCDも同じだった。

 

唯一違ったのは、彼はライブに行ったことがなかった。すごくすごく田舎の子だったから、1番近い会場でも泊まりの距離で、自分なんかが行けるとは思ってもいなかったらしい。

 

その代わり?コピーバンドを組んでいたらしい。すごく青春の匂いがする。

 

そんなこんなで私は一昨年、思い立ってツアーのチケットを取って、彼を連れて行った。横浜アリーナで、私が中2の時、初めて行ったライブと同じ会場だった。

 

もうあんまり好きじゃなかったけど、せっかくだから一度くらい彼に生音を聞かせてあげたかった。本当は当時の、憧れ真っ盛りの彼に聞かせてあげたかったんだけど。

 

それでも私たちは15年くらい離れていたのに、ライブに行ってまた好きになった。席も遠かったけど、やっぱり痺れた。

 

当時とは全然何もかもが違ったけど、なんかすごく良かった。

 

そして今日、大人になって二度目のライブに行ってきた。

 

さいたまスーパーアリーナ。ライブ会場としては初めて。

 

すごく運が良くて、前から10列目くらいのどセンターの席で、開演前に震えた。そしてやっぱり彼らのライブに痺れた。

 

アルバムツアーなのに、アルバムの曲をほとんど覚えないまま参加したからあんまり知らない曲ばっかりなのに、痺れた。席が良かった事もあったけど。

 

B’z好きって、なんか恥ずかしくて言えない感じがして、好きだった事すらあまり言わない。B’zが恥ずかしいというよりも、何かをすごく好きでいることに、胸を張れない。そんな感じで、昔からあまり人には言わないでいた。

 

中学高校時代って、自分が好きなバンドのCDを、すごくいいから聞いてみて!って貸してくれる子とかよくいて、興味ないけどとりあえず借りたりした。

 

ミスチルとかGLAYとかラルクとか、なんか色々聞いたけど、悪くはないけどすごく好きってほど、ピンときたのはいまだにいない。

 

hideは別ね。そこもなぜか彼も一緒。 blue bloodとかjealousyが好きでそのあとX離れしてB’zに移ってでも hideはそのまま好きって言う音楽の趣味は全く同じ。

 

1993年頃から2000年ごろまで。93年以前のCDやライブビデオは擦り切れるほど聴いたり見たりしていたから、デビューから2000年くらいは網羅している。そして2000年から2015年はすっ飛んでいて、このところまた好き。

 

当時と変わらないものなんて何もないのに。

 

東京ドームでも良かったんだけど、ドームは広すぎて、帰りの足も混むし、あえて埼玉。良かった、とても。

 

見た目とか曲とか演奏とか演出も好きなんだけど、彼らがまだこれだけの曲を作り続けていて、これだけ集客できるのに、90度のお辞儀をステージ上で何度もする姿が、きちんとしていて好き。

 

私も仕事きちんとやろう。感謝の気持ちを忘れず、驕らず、腐らず、90度のお辞儀を忘れない仕事の仕方がしたい。

 

次もまた行こう。

 

 

 

 

 

37歳前半を振り返る。

最近、フリーになりましたって挨拶行って、お、とうとう結婚ですか?ってくだりを何度もやった。

 

あ、いえ、全然です。って言うと、とても盛り下がる。

 

もう37歳ですよ。なんならもう半年で38歳。お相手は四十路ですよ。今更そんな厄介な事にしたくないです。

 

結局歳なんか、ただの数字だって人もいるけど、おおよその日本人は、歳で判断する。世代で線も引くし、くくるし、分ける。

 

あーもうそんな歳?まずいねぇ、結婚はちょっとキツイねーって感じになるんだけど。

 

結婚したかったんだけど、完全にタイミング逃して、ズルズルしてる私はしょうもないおばちゃんになってきた。

 

ときどき、ここに赤裸々な事を書こうかななんて魔がさすんだけど、そもそも需要ないのに、ばばあの下ネタなんてキモすぎって我に帰る。

 

自分では、本当のとこはばばあなんて思ってないんだけど、自虐的に表現しないとプライド高いと思われがちだし、まあ確かに若くないし、熟女ってもうちょい上っぽいし、なんとも中途半端で、ばばあと言わざるを得ない。

 

年取ったなぁとは思うし、若くないのも分かってるし、大人の女って柄でもないし、なんだろね、自分でばばあとか言ってると老ける気がして嫌だな。若い子に言われるのは気にならないんだけど。

 

そんな37歳バツイチ子持ちの赤裸々なんて、まあキモいと言うか、下品と言うか、自分でもちょっと抵抗ある。

 

例えば子供がいない不倫妻とバツイチ子持ちの恋愛って言ったら、やってる事おんなじでも不倫妻の方が美徳がある雰囲気。

 

バツイチ子持ちの恋愛って、男にだらしないイメージ。それは私が10年体感して来た。すぐ元ヤン?若い時遊んでたでしょ?って言われる。違うのに面倒で、まあ人並み程度にって返すのが無難に落ち着く。元ヤンにも失礼な話だ。

 

そうやって自虐的に自分を嘘でも卑下してずーっと生きてると、だんだんそんな人な気がしてくる。私は男にだらしないのか?元ヤンでバツイチ子持ちで恋愛しててキモいばばあなのか?そもそも元ヤンって何?

 

仕事はしやすいキャラ設定なんだけど、よくよく考えたらちょっひどい。そんなキャラじゃないと、面倒なやつだと思われる不思議な世の中。

 

仕事関係者は、仕事はだいぶ尊重してくれているのに、わたしのキャラクターは見下してバカにしてイジりたがる人が多い。好きにしてもらってるけど、なんでこんなにって思う事もよくある。

 

あ、なんか私傷ついてるのかも。でも、本当の私は!って言うのも恥ずかしいし主張する程の人間でもなく、クソ野郎ですいませんってヘラヘラしてると楽なのかも。

 

何言ってんだ私。だいぶ迷走してるな。カーズクロスロード見て寝よ。なんだか泣けてくる話なんだよなぁ。

 

雨の夜。

なんか外、すごい雨。クリスマスで雨って風情的にイマイチだけど、別にって気もする。日本だし、東京は雪になったら面倒だし。

 

昔は姉の一家がやってきて、義兄がサンタの格好して姪と息子にプレゼント配ってたけど、姪も中学生になって、来なくなった。

 

息子はいつからか薄々気づいていたから、一昨年あたりからサンタは来ませんと宣言して、普通に手渡しするようになった。

 

とは言え、なんかあれやりたいなぁって思って、寝てる息子の部屋に忍び込んで、ちょっとしたものを枕元に置くようになって、今年も息子はそれは本物だと信じてる。

 

俺今年、あんまりいい子じゃなかったから、来ないかなって不安そうにしてた。私は一応用意しているんだけど、まぁそればっかりは分からないよねって合わせてる。

 

枕元に置くやつは、欲しいもの聞いたりしてなくて、あんまり高価なものではなくて、喜びそうなものを選んでるので、あげる側もちょっとドキドキする。

 

これかよ、みたいに思われたらどうしようって思って、アンパンマンのおもちゃとかだったらどうするー?って聞いたら、おまえにはそれがお似合いだってサンタさんが思ってるだろうから、ありがたく遊ぶよって言ってた。

 

ものじゃないんだ、サンタが俺を忘れずに来てくれてることが大事なんだって。

 

私はサンタなんて来ない家で育ったから、ちょっと息子が羨ましい。

 

今年いい子にしてた自信があれば大丈夫だよ!って言ったら、ママは今年ちゃんと俺を完璧に育てた自信ある?ないでしょ?みんなそんな自信なんかないんだよ、って深い真理を説かれた。

 

チビだと思ってたのに、成長しる。

 

こっちもバレないように隠して、完全に寝るの待たなきゃいけないからソワソワしてるのに、11時ごろになって、お腹痛いとか言い出して、さっきやっと寝た。

 

もう少し深く寝てくれないと、忍べない。私ももう眠いけど、ここでバレたら終わりだわ。

 

どこまで信じてるんだろう。そういうの、私分からないけど、本当にサンタが忍び込んでるとはさすがに思ってないだろうな。

 

でもいいか。嬉しい気持ちは大事だ。2時になったら枕元に置きに行こう。寝ないように頑張らなくては。

 

クリスマスはいつからか、息子の喜ぶ顔を見れる日になった。そのうちまた、一人で過ごす日に変わって、うまくいけば孫の喜ぶ顔を見れる日になって、また一人で過ごす日に変わるんだろう。

 

やばい、なんか私もお腹痛いかも。変なもの食べたかな。。

都会の風。

会社を辞めてフリーになって1ヶ月、久々に都心に出た。電車に乗って、外の景色見たりして、毎日乗ってるとどうでもいい景色に感動すると言う、ありきたりなことが起きた。

 

なんかの勢いで、私はフリーランスという、なんとも不安定な立場になった。とりあえず、なんとか生きてはいける。

 

金銭的にはあんまり変わらないけど、時間的余裕と体力的な余力が全然ちがう。太りそう。もっと会社員の時くらい働けば全然稼げると思うんだけど、このくらいがちょうどよくて、無理して働かなくなってきた。

 

将来が不安ではあるけど、自分のスキル磨いたり、息子と向き合ったりする時間ができて、人間らしく暮らせている。

 

ストレスは皆無だ。そりゃもちろん、会社に属していれば税金とかそういうのやらなくてよくて、それはそれで楽なんだけどもね。収入も固定されるし。

 

 

私の周りの同世代は、フリーランスとか一人親方とか、起業して社長一人とか、ちょいちょいいて、いろいろ助け合って生きている。お金や時間やスキルを分け合って仕事してる。

 

あれ、でも、女の人いないや。おっさんばっかりだ。女性フリーランスとか、女性起業家とかとはまた違うジャンルにいる気がする。居心地いいんだろうな、男の人の淡白な人付き合い。

 

社会的異端児の多い世代なのかもしれないけど、共通しているのはここまでの10年以上、がむしゃらに頑張って仕事にこだわりを持っているというところ。私はそこまででもなくて、少し恥ずかしい。

 

パソコン1台、携帯1台、体一つで、頭の中の物を外に出すことでお金を頂いている。だから時々外に出て新しい刺激をもらわないと頭の中が錆びてしまいそう。

 

あんまりやりたくない仕事の依頼が来て、自信ないし納期短いし、断ろうと思ったんだけど、私にって見込んで頼んでくれた人に少しでもまあまあ助かったなって思ってもらえるような仕事をしようと思って引き受けた。

 

そういう仕事受けた時に、勉強する時間があるのがフリーの強みかも。会社員だったら勉強する暇ないし、あっても面倒で引き受けないし、自分の伸びしろ潰してたな。

 

仕事なくなったらスナックで働こうかなとか思ってる。別にスナックじゃなくてもいいけど、スーパーのレジとか向いてないし、なんか人の心を動かす仕事がしたいな。

 

食うのに困らない生活であれば多くは望まない。忙しいのも人間関係煩わしいのも、疲れた。夜中現場の次の日は昼まで寝れる生活が良い。完徹しても給料変わらないならやりたくない。

 

もっとちゃんと生きてきてて、ちゃんとした企業に就職していればそれはそれでもっといい暮らしだったかもしれないけどね。後悔しても何も生まれない。

 

とりあえず東京オリンピックまでは仕事繋げられそう。その後は、後にならないと分からないけどその時私40歳。まだまだ働かなきゃいけないんだなぁ。

 

とりあえず、有楽町線。もうすぐ目的地。

 

 

ありがとうの意味

うちの祖母は父方も母方も、二人揃って20年近く未亡人の末、要介護認定をされる程に長生きしている。

 

もう生きるの疲れた、とよく言う。

 

父方の祖母は一緒に暮らしてるけど、世話は父の仕事。母方の祖母は関西にいて、母の姉が近くに住んで世話をしている。

 

父も伯母も、ありがとうありがとうと何回も言われるとなぜだかわからないけどイライラする、とこぼしている。

 

親というのは、子供がずっと子供で、子供の機嫌をとる事が1番喜ぶって思ってるから、たくさんありがとうが言いたいんじゃないかと、親になって10年の私は思う。

 

でも、子供も大人になって、機嫌を取られたらお母さん大好き、な歳ではなくなっていて、日々終わりの見えない介護生活に疲れ切っていて、浴びせるようにありがとうを言っても、届かなくなってしまっているのかな、と思う。

 

そう思ったのは、誰かのツイートで、

大人の「好き」は多くの場合「この人を大切にしてあげたい」だが、子どもの「好き」は「この人に自分の機嫌をとってほしい」である。しかし、大人になっても子どもの心ままに「好き」を使う人がいるので、横から見ると「どうして好きと言いながら、こんな酷いことをするのだろう」という事例が出る。

 

というのを見つけて、なんとなく繋がった。私の祖母の例は逆パターンで、この子の機嫌をとってあげたい、がいらない言葉になってしまっているのかと思う。

 

ありがとう助かるわ、と言われてももう、お母さんに褒められたなんて達成感ではやり切れない思いが介護生活にはあるような気がする。

 

母は、どちらの祖母の面倒も見ない。私には無理、の一言でかわしている。私は父と母の面倒をいつか見るんだろうというやんわりとした覚悟があって、無理の一言で逃れている人の面倒を見るのはやるせないなぁと、なんとも言えない辛い気持ちになる。

 

同居の祖母は、認知症ではないけどもうすぐ100歳で、私のとこを時々忘れて時々思い出す。

 

朝、今日はうちに泊まるの?って聞かれたり、久しぶりねぇって言われたり、かと思えば、早く再婚しなさいよって言われたり、名前はたまに忘れちゃうけど出戻りの孫かしら??くらいには覚えているっぽい。

 

エアコンが消せないって困ってることが多いから、いつも消してあげると、ありがとうありがとう、あなたは賢いわってすごくすごく褒められる。

 

私は腹が立たないけど、これが親だったら腹立つな、と思う。不思議。親子って難しい。

 

母に、私はいずれ、いつかは分からないけど、息子の成長の丁度良いタイミングで家を出ると伝えた。

 

ずっとダメだと言われていたけど、家のローンを私が払い続けると言うのと、世話が必要になったら通いで世話をすると言う条件で許可がおりた。

 

感情的にならずに、淡々と話すことで、あの人のヒステリーも刺激しないで済んだようだ。このところ、平穏だ。

 

家を出るのがいつになるかは分からないけど、ここに居続けなくていいと言う許可は、私を解放した。やっと鎖が切れた感じがする。

 

母の呪いから少しずつ解放されて生きたい。通いで世話をするようになったら、ありがとうを浴びせられて、すごくイライラする気がしてならないけど。

 

 

 

 

母子家庭の罠

年収が2万円オーバーで、児童扶養手当が打ち切られました。

 

2万円か。それで年間だいぶ負担が増えて、手当の支給も無くなって、そうか、すごいマイナスじゃないか。

 

でもどこかで線引きは必要だから、仕方がない。手当に頼らずに生きていけるように頑張って生きて行こう。

 

いい人を見つけたら、再婚しなさいって私に言ったのは、息子が通う保育園の園長だけだった。この10年、母子家庭だから恋愛どころじゃないよねって思われる事が多かった。

 

彼氏がいますって言うと、母子家庭なのに?って言われたこともあるし、母子家庭の癖に恋愛してる人はヤバイ感じは根強い。

 

父子家庭であれば、子供には母親が必要だから再婚しろって言う人多いんだけどね。母子家庭だと、父親なんかいなくても子供は育つってよく言われる。父親、どんだけ不要なんだよ。

 

父親は何のためにいるんですかね?父親不要っぽいですよ、世の中。イクメンとか名前が付くぐらい、父親は育児しないらしいね。

 

そのくせ、そんなに仕事ばっかりしてて子供寂しいんじゃない?子供がかわいそうとか言われると、もうどうしていいか分からない。そうですね、寂しいと思います。ろくな子に育ちませんねって言えばいいんだろうか。

 

父親なんかいなくても子供は育つから、恋愛なんかしてないで死ぬ気で働いて、でも子供には寂しい思いをさせないように早く帰って育児家事をこなすって、離婚したことにどれだけの罰を与えるんだよ。

 

父子家庭に失礼じゃない?男だから、女いないと子育てできないでしょ?って誰の目線だよ。立派にやってる人もいるし、結婚なんてこりごりだって人もいると思うよ。

 

最近思うのは、なんで離婚したの?って何度も何度も聞かれて本当に面倒くさい。夫婦間のイザコザを他人に喋りたくない。喋ってもいいけど、その後のリアクション難しい癖に聞くなよって思うんだ。離婚した程度の低い人間には拒否権すらないらしい。

 

DVにあってました。首を絞められたのを機に、逃げるように離婚しました。隠れて借金もあって、子供を守りたかったから。

 

本気で答えたら、水を打ったように静かになってしまって、変な空気にするなよって感じになる。

 

だから私はいつも適当に嘘をついている。なんか相手の不倫で、とか言うのが1番盛り上がるので好まれる。バツイチで答えに困る人にはオススメ。

 

一人同じような境遇の人が、元旦那が暴行事件起こして逮捕されて懲役決まったんでって言ったら、みんな、ふーんそっかー以外何も言えなくて、だから聞かなきゃいいのにって私は思って、悲しくなった。

 

ただの興味本位よね。そこに傷があってもなくても、聞く側からしたら、コイツよりは幸せだわって思えるからね。

 

離婚理由なんていろいろに決まってる。自分が悪い人もいるし、喋りたい人は勝手に喋る。面白い話なんてそうそうない。他人からしたらしょうもないネタで、そんなんで離婚したらウチなんて毎年離婚だわーとか言われても、そうですか、我慢強いですね、って言えばいいのかどうすればいいのか、誰か教えて。

 

ひとり親はひっそり生きていくから、そっとしておいて。みなさんよりは確実に人間として下だから、見下す対象にしてもらっていいから、愚かな不幸者だと思ってそっとしてほしい。

 

なんか最近、そんな話が多くて少しストレス。ひとり親の癖に、一般の方の愚痴を言うのももしかしたら偉そうなのかもしれないなぁ。

選挙に行きました。

私は選挙は必ず行く。政治には関心がないけど、選挙には面倒くさいなーと思いながらいつも行く。

 

投票所になってる学校の前の、候補者のポスター見て、この人って決めてから投票所に入る。立憲民主党ってナニ?ってぐらいの知識で投票してる。

 

この人の名前知ってる!とか、駅で演説してるの見たことある!とか、そんなレベルの判断基準。

 

息子もずっと連れて行ってる。あなたも大人になったらやる事ですって教えてる。そんなことしたって、多分18歳になっても、息子は選挙には行かないだろう。

 

18歳から選挙権があるとは思えないほど、年配の方々が目立った。若くて30代前半くらい。10代、20代は全然見当たらない。

 

私が20代前半だった頃、選挙には行かなかった。政治に興味がないどころか、選挙に興味がなかった。世の中の事と選挙が結びついてなかった。

 

20歳最初の都知事選は記念で行った気がする。その後子供が産まれるまで、選挙に行った記憶がない。

 

もう、選挙権は30代からでもいいんじゃないかと思う。せめて25歳からとか。学生には、選挙より大切な事がいっぱいあって、友達と遊ぶ事や、バイトや、なんやかんやを諦めてまで選挙には行かないんだ。

 

なんとなく、学生の頃は選挙に行くのが恥ずかしかった。真面目な子だと思われるのがとか、年寄りしか行かない所に行く自分とか。休みの日にヒマだと思われるとかそんなしょうもない感じ。今の子達はどうなんだろう。

 

ピンとこないんだよ、選挙やら政治やら。直面しないもの。消費税以外納税していないし、自分のお金で暮らしていないし、なんか選挙行ってどーなるの?って想像ができなかった気がする。

 

今は大人になって、政治やら経済やらに直面していて、自分が所属している国家の事が多少気になる。

 

国会の話題が潰し合いで下らないなーとか、その程度だけどね。国を良くするのも悪くするのも、私みたいな庶民の政治への参加は選挙しかないんだ。

 

小選挙区はつまらない。候補者が少なすぎる。統一地方選とかはなかなか楽しめる。ポスターへのお金のかけ方とか、選挙カーの騒音の迷惑さとかで、だいぶ左右される。

 

選挙結果はだいたい思った通りだった。これで若い人たちが9割くらい投票しててさ、適当に選んでてさ、そしたら予想外の面白い結果になるのかな。

 

政治家も今の選挙活動では票がもらえなくなるから、新しいプロモーションを考えないといけなくなって、街頭演説とかじゃ票が得られなくて、コアな支援者よりも若年票が多くなってしまえば、本当に自分のウリをアピールするかな。

 

でも、若い人は選挙にこぞって行く事は難しいだろう。だってほんとに面倒くさい。スマホやらパソコンやらで投票できるようになっても若年層の票が伸びるとは思えない。だってどの道面倒くさい。

 

もっといろんな意味で自由な国にならないと、投票率は上がらないだろうなぁ。例えば選挙の日は、商業施設、商店、企業、学校、公共機関、全て休み!とかね。

 

プレミアムフライデーより、良い気がする。衆議院解散⁉︎やった臨時休業だ!みたいになるよ、きっと。ならないかなー。