乗り越えると諦めるの違い。
分かり合えない問題にぶつかった時、話し合い乗り越えた2人は幸せになり、どちらが諦めた2人はいずれ破滅する、みたいな記事を見た。
紆余曲折あって、くっついたり離れたり、別れたりヨリ戻したり、10年近く繰り返した私と彼は湧き上がった結婚話が破断以降、なんの波もなく過ごしている。
私が諦めたからだ。あいつは諦めていないようだ。でも、私は諦めていて、綺麗さっぱり真っ平らな気持ちでいるから、ケンカもしない。
腹が立たない。諦めたから。好きだの嫌いだのも思わない。諦めたから。
許すという感情を手に入れた私は、許すフリして全部完璧に諦めるという手法をマスターしたらしい。
母の事も、諦めた。許した。あいつも諦めたし許した。傷つける事もなければ、傷つけられる事もなく、無の境地に辿り着いたなぁと最近感じる。
腹が立った時、あら私ったら腹を立てているわ、と上品にかつ冷静に客観視して、そんな私は下らないと一蹴できるようになった。
誰かのせいにして、誰かを悪者にして、因果を私にするならそれでみんなが満足なら、私はそれでいい。全て許しますよ。何かの宗教みたい。
そんな風に生きるのが、私には似合っていて、他人の幸せは自分の幸せ、なんて全然思えないくせに、無の境地でそう思えるようになった。
幸せというより、無害。他人の幸せは私には無害。そのくらい低い位置で生きている。
好きとか嫌いとかではもう抗えない楔のような物を埋め込まれてるんだろうか。私は何か罪を犯したのかしら?生まれてきた事?
息子が元気で楽しく幸せに暮らしていればなんでもいいや。私がどうあれ。
色々と治療やセミナーやカウンセリングを受けて到達したのはここだった。ここには何もない。そんなもんだ。