うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

我慢と我慢の間。

母問題で家を出る決意をしたのに、シングルマザーの家庭の子供が夏休みに給食が無くて貧困になるニュースを見た。

私は、息子にひもじい生活をさせる訳にはいかない。

私の給料で、家のローンを払いながら、家賃も払って、2人で生活するにはギリギリだ。むしろ、多分足りない。

夏休みに、親を頼れればいいけど、それができないとなると、夏休みに限らず長期休みは家でひとりぼっち。

昇給を希望するなら、もっと働くか、副業するかで結果、1人にさせる時間が長くなる。

結局、私が我慢をしてここにいれば息子の生活は守られる。それを優先すべきなんだろう。

彼に一緒に暮らすか?と聞かれた。うちに来てもいいって言ってくれた。けど、長期休み問題は解決しないし、何より男の家に転がり込むのは、なんだかすごくダメ親感があって、ありがたいけど断った。

このタイミングでなく、言って欲しかったけど、仕方がない。

全て、仕方がない事。

我慢を怠れば、別の我慢が生まれる。
それが息子に我慢をさせるくらいなら、私の我慢であった方がいい。

一青窈はあんまり好きじゃないけど、ハナミズキの、僕の我慢がいつかみをむすび、はてない波がちゃんと止まりますように、という歌詞は少し泣けてしまう。

私の我慢が実を結んだら、それでいいんだ。本当は我慢なんて誰もしたくないんだけど。させたくもないし。

生きたくない。でも私が死んだら、息子を残した事で罵られるだろう。生きてても罵られるけど。だったら息子を残すよりも、生きて罵られている方がいい。息子の悲しみを考えたら、生きてる方がいい。

あの時、ちゃんと死んでおけば良かったと、後悔してしまう。

中学生の時に、なぜ私は死ねなかったのかな。あの時、死んで詫びなかったから、今もなお罵られてしまうのに。

母に伝えたいのは、私が欠陥品だったから、完璧になれなくてごめんなさいという事と、私たちを支配するのを止めてほしいのと、もっと楽に生きてほしいという事。

幸せになってもいいのかな?って思い始めた矢先だったから、また、私は幸せになんかなってはいけないと思い始めた。欠陥品は欠陥品らしく、苦しまなければならない。欠陥品のくせに、幸せを望んではならない。もう一度肝に銘じてきちんと正しく我慢をしなければ。

あのね。どうしようもなく自分を痛めつけたくなる。