うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

家族連れを見て、私が感じなくなった事

父母兄弟みたいな連れを電車とか街中で見ると、愕然と悲しくなっていた。

息子が小さかった頃、2人で水族館とか、そういう所に出かけた日、帰りの電車で息子はいつも寝てしまって、荷物と息子をいっぱい抱えて、乗り換えの階段を一歩づつ上って行くと途中で泣きそうになっていた。

これが、離婚した者への苦行なんだとか、これを乗り越えないと、幸せになる資格はないんだとか。

そんな事を考えながら、寝汗をかく息子を抱えて、荷物を両手に持って、階段を上がっていた。

だからベビーカーを使った事がない。
最後、持てなくなるから。

エレベーターがあっても、エスカレーターがあっても、全部を抱えて歩くのは苦行だった。

ねえ、起きて歩いてよってお願いしても起きないし、誰も半分持ってくれないし、寝ている子供はどんどん重くなってくし。

そうやって、一人で生きてる自分に自己陶酔していたんだと思う。
息子と荷物を抱えて、汗だくで必死に歩いている自分に酔って、私頑張ってるって自分に自信をつけていたんだろう。

荷物を持ってくれる旦那がいなくたって、私は一人で大丈夫。
そんな風に思って、涙を堪えてる自分を認めてたのかもしれない。

息子はもう、外で手もつないでくれない。電車寝ても、駅に着いたら起こせば、あーよく寝たっていいながら一人で歩く。

時には私の荷物を持ってくれる。

ママは小さいからって。

なんだか、全てを抱えて、家族連れを見つけては涙していた自分が恥ずかしい。

私の家族はここで私を支えてくれていた。それだけの事なのになぜ見えていなかったんだろう。

お父さんがいたらなぁって、息子はたまに言う。それは、遊んで欲しい時。私ができない遊びの時。キャッチボールとかサッカーとか。学校の宿題でコマ回しの時とか。

そんなに、深い問題じゃないみたいだ。