戻るところ。
聲の形を見た。
かつて私はいじめる側とイジメられる側を行き来した事がある。
小学校高学年の時。割合的には7:3でいじめる側の方が多かった。
いつ、自分がイジメられる側になるかわからない。
だから先にいじめる。先に悪口を言う。先に味方を増やす。
それでも自分がイジメられる側になった時、絶望的な気持ちになった。
イジメられると言っても、無視されたり、ハブられたり、体ではなく心を攻める方法ばかりで、金銭が絡まなかったのが不幸中の幸い。
そのノリで、私は私立の中学校へと進んだ。
ローカルルールを世界の常識くらいの、間違ったノリで。
さっそくできた友達から、1人選んで仲間外れにする。悪口を言う。
そして私の身は安泰だと思っていたのに、気がついた頃には、私は全く友達がいなくなった。
私は知らなかった。みんなが仲良くする世界があるって事を。いじめる、イジメられるが交代制ではない世界があるって事を。
私はいじめられなかった。みんなそんなに子供ではなくて、ただ、友達のいない子になっただけた。
それでもクラス替えのタイミングで、少し話しかけてくれるこがいた。
少し仲良くなっても、その子にはもう仲のいい友達がたくさんいるから、結局席替えの時に離れるともう話すことはない。
私は出足を間違えた。後悔しても反省しても、友達はできなかった。
その頃の私は成績も悪く、母の毒牙にかかっている真っ最中で、それで死のうと決意していた。
中2の時、15歳の誕生日に死ぬって決心した。
周りからヤバイやつだと思われて、友達もいなくて、親にもけなされ続けて、ただ全部自分が悪いって事は分かっていて、後悔してもダメで、高校にも上がれないって言われて、生きている価値がなかった。
誰にも、何かを相談する術もなかった。
なんで死ななかったのかというと、単純に死ぬのが怖くなって、あと10年だけ、生きさせて下さいって、自分に縋った記憶がある。
そこからの私は、カウントダウンを始めて、10年後の25歳に向けて、うつ病になってしまった。
今度こそ死ななければ、と言う焦りに押しつぶされて、心がじわじわ壊れていった。
もちろん10年もあったから、楽しい時もあった。たくさん人間関係を学んで、きっと普通の人はこれは傷つくんだとか、嫌な気持ちになってるんだとか、これは冗談とかの区別もつくようになった。
彼氏もいて、依存して、捨てられて。体と心の距離感は、全然わからなかった。
25歳になる頃にはすっかり病んで、精神科に通っていた。
死ぬって騒ぐ事も多々あった。
付き合っていたろくでなしと結婚して、ひどい暴力を受けながらも生きたいと死にたいの間にいた。
妊娠して、子供が生まれて、逃げるように離婚した。
聲の形を見るまで、自分がいじめたりイジメられたりしていたのを忘れていた。
忘れたかったんだろう。そこから私は間違えたのだから。
人が自分のせいで傷つくのはとても怖い事だ。それを痛感した私は、今は1人が1番いいと思えるようになった。
自分のせいで、誰かが悲しむのはもう嫌だ。
でも私は人の気持ちがよく分からない時があるから、1人でいよう。
その私がもうすぐ2人目の子を産む。
旦那が優しい。義両親も優しい。息子も優しい。
優しくないのは相変わらずな母と、無関心な父。
私は今、誰かに優しくしてあげられてるのかな?
誰かに優しいねって思ってもらえてるのかな?