思い出は美化される。
思い出が美化されるっていうのは、本当だなと思う。
5年くらい前、元彼から10年ぶりに連絡があった。Facebookでうっかり繋がってしまって。
Facebookなんて、私がやりもしないのにアカウントなんか作ったせいだ。
付き合ってた時すごく好きで、向こうに好きな人ができて振られたんだけど、その相手と結婚して子供をもうけて離婚していた。
久しぶりに会いたいって言われて、そのうちねーって適当に返して、そこから5年くらい経つ。会う気はさらさらない。
なんだか、あんなに好きだったから、幸せになってて欲しかったのと、その人のFacebookが今の彼女とのお出かけ写真とか、仕事充実してますって感じのばっかりで、こんな人だったっけ?って違和感を感じた。
その違和感はたぶん、美化された思い出のせいで、彼自体はおそらく変わっていないんだと思う。私も。
それ以来Facebookは辞めた。
思い出はちゃんと美化されるなぁって実感したから、今もいろんな別れがあるけど、これも美化されて本当はそんなに美しい思い出じゃないって思える。
本当にすごく好きな人だったのに、すごく残念。勝手に残念がられて、その人も可哀想なんだけど。
私もきっと美化されていたんだと思う。
もう、私、誰かの思い出に残りたくない。私が生きてた痕跡を一つ残らず潰していきたい。そんなの無理なんだろうけど。
そういう理由もあって、SNSはやらないんだけど、ここで素性を隠してブログ書いてたりするのは矛盾していると思う。
忘れてほしいのか、忘れて欲しくないのか、自分でも意味不明。
今日は他部所のおじさんが、経理のお姉さんがお茶出しを断ってきたってブチ切れてた。男にお茶出されて嬉しいやつなんかいねぇよって言ってた。
やりましょうか?とは言わないけど、お茶ごときでこんなに怒るんだってびっくりした。私がやらないのは、面倒臭いってだけ。女の仕事じゃない!とかは思わないんだけど、男であれ女であれ、他人のお茶なんて面倒臭いよ。
私は何を思って生きているんだろう。感情を持たずに生きたいと願っていたのに、少しずつ今薄れてきていて、それが少し悲しい気もする。
矛盾しながら生きている。
悲しいと感じなくなったら、嬉しいも感じなくなるのかな。
無になる事は、きっと簡単ではない。