うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

いじめたり、いじめられたり。

私が子供の頃から、いじめはあるし、今の息子の学校にも、大なり小なりいじめはある。

 

息子のクラスの中で起きてるい女子同士のイザコザは、聞く人が聞けばイジメだし、いじめている側はいじめている自覚などないだろうと思われる。

 

いじめられてる女子は、性格が少し悪かった。ワガママで自己中心的。それに目くじら立てた女子グループが吊るし上げをする。

 

男子は我関せず。無関心が無関心を呼ぶ。

 

性格が少し悪い。それをほっとけないのがいじめの発端。許せないっていう子たちが群れを成す。

 

私もそれに近かった。人と少し外れていた。自業自得な事がたくさんあったから、何をされてもそもそも自分が悪かったからと思って、耐えるしかなかった。中学生だったし、女子校だったのもある。

 

いじめてないって、言われてた。これはいじめじゃないから。自分が悪いのわかってるよね?仕方ないよね?そう言われたら、いじめではなくて自分がした事への報いになる。

 

だから私はいじめられていないし、傷ついたのは傷つけた報いだから当然の事だったのだと思っている。あれはいじめではなかった。

 

たくさんの人にたくさんの悪い噂を流されて、友達もいなくなった時、隣の席になった子が時々話しかけてくれた。

 

普通にいいやつじゃん。なんであんな悪い噂流されたの?

 

私が悪かったから。噂じゃなくて事実だから。

 

いじめられてたの?

 

いじめられてない。私が悪かっただけだから。

 

その子とは友達にはならなかった。誰とも友達にはならなかった。地元の親友には彼氏ができて会わなくなった。親は落ちこぼれた私を責め続けていた。

 

私は泣かなかった。こうなったのは自分のせいだとわかっていた。死のうと思った。それだけだった。全部自分が悪いから、死ねば償える気がした。

 

でも死ななかった。弱かったのか強かったのか分からないけど。そのまま生きて、違う高校に行った。

 

高校では友達はできたけど、学校以外で会う子はいなかった。友達ではなかったのかもしれない。

 

専門学校でできた友達は、2人だけ今も友達。5人で仲よかったんだけど、私が心を病んで、二人離れて行った。

 

私は本当に自分の至らないところが自分に返ってきた人生だと思う。本当は人と違うところをほっといてほしかった。思い知らせてくれなくてもよかった。死ねなかったのは強さか弱さか分からないけど。

 

だから今でも、人に好かれたり愛されたりするに値する人間ではないと、思い知っている。何がいけなかったのかな。身も心もボロボロだった時、ただ、1人でも見方がいてくれたらよかった。

 

親でも友達でも先生でも、誰でも。だれでもいいから1人でいいから、気づいて欲しかった。自分が悪いって知ってたから自分からは言えなかった。だから気づいて、あなたは悪くないって嘘でもいいから言って欲しかった。

 

自分が悪いって、ちゃんとわかっていたから。

 

誰かに必要とされていない人間は、消えるんだって。なんであんたは毎日いるの?

 

あれからずっと、誰が私を必要としていて、私が今も消えずにいるのか、分からないまま。

 

思い知らせてくれてありがとう。自分が無価値な人間だって、あの頃教えてくれた人達に感謝している。思い上がって生きて行くところだった。

 

息子のクラスの話を聞いて、自分の過去を思い出してしまった。もう20年も前の話だ。

 

性格や言動が悪かったり、人と違う子を、集団で傷つけていい理由なんかない。わざわざ思い知らせてくれなくてもいい。

 

みんなと同じである事が権力になる。それは今でも少し怖い。