うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

いじけ虫。脱皮。

会社でとても合わない人がいて、その人に今日すごく嫌味を言われて気にしないようにしてたのに腹の虫が治まらず、ブチ切れてしまった。

彼と一緒に帰って、やっちまった報告をした。しかも私の虫の居所は悪いままだから、八つ当たりしないように気をつける。と宣言をした。

そして、私の成長したよね?八つ当たりしないようにしよう、って気をつける事ができるようになった、って言ったら、あー、まあね。と言うふわぁっとした返事が帰ってきた。

ちなみに、私ってどういう人だと思ってるの?って聞いてみた。これは私が今日ブチ切れた反省をしようという心積もりもあって。

いじけ虫。

即答で、いじけ虫と言われた。

9年間そばにいて、程度の差こそあれ、お前はいつもいじけてる。すぐもういいって言う。

1人でやるからいい、とか。よくないくせに。でもよくないくせにって言うともっといじける。なんなら怒ってくれた方がマシだと思う事もある。

お前は無意識でいじけるから、それを自覚して治そうと思い始めたら成長したなって俺は感じるかもしれん。と。

私はいじけてる自覚がなかった。本当にもういいっていつも思ってた。でもそう言われると、いじけてたのかもしれない。

家に帰って、いじける心を検索してみた。そしたらアダルトチルドレンとかインナーチャイルドの文字が上がってきたから、調べるのをやめた。

もうわかった。またそれか。もう検索するのやめよう。素直になって生きたい。それだけ。私を私で生きたい。存在しないのに心に居着く子供の自分にどれだけ私は人生を左右されてきたんだろう。

私はただ親に自尊心を傷つけられただけで、認められなかっただけで、それだけで自我を頑なに形成していった。もう親の記憶にもなくて、縛られてるのは私だけなのに。

認められるってそんなに大事なことなのかと。認めてほしかったのか、あの頃の私。あの頃の私が認められてたら、こんなにいじけずに生きられたのか。
 
この間息子がいじけて、いじけた時間が長すぎて、ゲームをやる時間がなくなってしまって、いじけなければよかったと後悔していた。

いじけを自覚できてると言うことは、私より大人なのでは、と言うより、私は息子より幼稚なのでは?

いじけ虫を脱皮できる日は来るのかな。とりあえず彼に、次いじけたら、いじけてますよってお知らせしてもらう事にした。

いじけないで感情を出せ、とアドバイスをもらった。怒る、泣く、気にしない、笑う、答えは4択だって。

もういい、どうでもいいって、感情に蓋するのをいじけるって言うんだよ。俺はいじけてるお前を怒らせたら勝ちだと思ってる。笑わせてもいい。感情が出たら、いじけ終了だと思ってる。

だからすげー、面倒くさい。

らしい。