うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

折り合いをつける。

祖母が95歳になった2日後に倒れた。

入院しているんだけど、どこがどうってなくて、全体的によくないらしい。老衰ってやつだ。

どんどん小さくなる祖母を毎日見て、そろそろかなぁって5年くらい前から覚悟している。覚悟が長すぎで、みんな麻痺し始めた。

死ぬんだろうか?と不思議な疑問に襲われる。長生きはもうしたし、本人も毎日死にたい死にたい言うし、介護してる親もしんどそうだし、生きることが正解なのか分からなくなってくる。

でも、死んじゃったら寂しいなぁって、思うんだよね。30年近く一緒に暮らしてたからさ。あんまり懐いてないし可愛がられてもないんだけど。ただ、そこにあったものがなくなる喪失感っていうかね。

最期が近いなら、せめて苦しまないでくれるといいなぁって祈っている。

そして私は、息子と彼との疑似家族を続けている。息子は彼を8割家族だと言う。残りの2割はなんやねんって彼は笑っていた。

一生疑似家族でいいかなぁと私は感じ始めた。息子もおそらく今は、この形に不満も満足もなく過ごしてくれていると思う。

彼だけ、今更一緒に住みたがっている。その為には家を出て私は仕事を辞め、新しく仕事を探し、って、負担は私と息子にばかりやってくる。金銭的にも厳しいだろう。

諦めてよって、やっと自分を説得したのに今度は彼を説得しなくてはいけないのか。なんだか気が重い。勝手に夢を見させておこう。

確かに一緒に暮らしたかった。でも息子は家を出たがらない。当たり前だ。今を築いた家を出る理由が息子にはない。苗字だって変えたくないだろう、今更。

私息子が成人してから結婚してもいいかなぁって思ってる。彼の子供を産みたかったけどさ、そんな存在しない命より、息子の気持ちが大事だとか、考えてしまう。

アダルトチルドレンにはしたくない。そうじゃなくても、私達のワガママで、心に傷を負わすような事したくない。そう思えば諦めるというより親として適切な判断だ。

おばあちゃんが死ぬかもしれないし。そしたらうちも環境が変わる。変わったら変わったでそれに合わせて生きなくては。

なんだか最近、悲しくない。