うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

嘘が嫌い。それは心が狭いせい?

彼と彼の同僚と、私と私の後輩の4人で帰っていて

駅までの道のりで、二手に分かれてしまい

彼の同僚だけ別の電車なので、彼は駅で私たちを待っていた。

待っている彼を私と後輩は見つけて、歩いていたんだけど、彼も気がついた顔したんだけど、彼は来なかった。

携帯を見始めたので、仕事の急用かなと思って私たちは階段を降りてホームにおりた。

電車が来たけど彼は来なかった。

まあいっか、と思って電車に乗ったら、どこ?ってラインが来たから、いま乗ったから乗ってって送った。

タイミング的に私達の電車に乗れなかったから1つ後になった。

後輩が降りたあと、乗換の駅で待ってるよって送った。

待ってたのにってラインが来た。

見つけてたのに来なかったじゃん。

見つけてない。

見つけてたよ、あって顔したもん。

お前かどうか分からなかった。

分かるよ、あなたの眼鏡と私の裸眼同じだもん。分からなかったら、その眼鏡で運転ダメだよ。

見つけてない。

見つけてた。

みたいな不毛なやりとりをして、結局合流して、私が突き詰めて、彼は見つけたけどその後にお客さんからメールが来て、メール見てる間に見失ったって分かった。

だからなんで見つけてないって嘘をつくの?

って事なんだけど、まぁようするに、全部を説明するのが面倒だっただけなんだけど。それはよく分かる。

でも、私はその些細な嘘が全然許せなくて、喧嘩してもしょうがないから納得したふりして家帰って、【嘘が嫌い】で検索した。

嘘が許せない人は、その人の嘘の奥底にあるものを受け入れる器がないらしい。

心が狭いんですと。

確かにね。見つけたかどうかに、そこまでこだわる私はなんなんだろう。

自分に余裕が全然ないんだろうなぁと思う。

それと幼少期に深く傷ついた人に多いとか。

また幼少期の傷かぁ。どこまでもつきまとう幼少期の傷。

面倒くさい。自分が面倒くさい。

人を許せる心が欲しい。不安に覆われない心が欲しい。白黒つけたがらない心が欲しい。愛されてる安心感を感じられる心が欲しい。

なんで、全部をハッキリしなければ、私が間違ってないって結論付けなければ、私は安心できないんだろう。


これからは、そういう嘘であって嘘じゃないものを、受け流そうと思う。

もう、幼少期の傷はいらない。

いい加減、解放されたい。