うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

生まれ育った環境が自我を育てる。

彼は西日本の山間のすごく田舎町で育った。本人曰く、碌に勉強もせず、友達と下らない事をして遊んで暮らしてた。

私は都内の隅で、勉強ばかりの毎日だった。小学生のときの偏差値は70くらいあって、来る日も来る日も勉強をしていた。友達と遊んだ記憶は、そんなにない。

私は彼の昔話を聞くのが大好きで、友達とした下らないイタズラや、家出したときの事や、近所のおばちゃんの事や、彼の家族の事や、家の周りや、中学生の時はヘルメット被って6キロ先の中学までチャリ通してた事を、何度も何度もねだって話してもらう。

愛されたいなどと思う暇もないくらい、楽しい思い出話が大好きで、何度も同じ話を聞いては、幸せな気持ちになる。

彼の過去が羨ましくて、私もそこにいたかったって、心底思う。

私は、小学生の時がピークで頭が良くて、割と頭のいい進学校に受かって、そこからは伸び悩み、落ちこぼれていった。

その事実が受け入れられない母に、毎日のように罵られて、死ぬ決意をしたのは、中学2年の時。

そんな彼と私は同じ仕事をして、何か惹かれ合うものを感じ、一緒にいる。

彼が優しいのは、優しい人達に囲まれて育ってきたから。

今、私は母の事で弱っている。その前は彼の事で弱っていた。

私の精神破壊活動を知っている彼は、今は分かりやすい愛情表現をしてくれている。

私が取り乱さないように、私が弱さを見せて泣けるように。


彼に、偏差値が70を超えてるってどんな感じ?と聞かれた。

走れメロスの、最後の落ちを書いた太宰治の気持ちで討論する中学生。その続きを書くとしたらなにが起こるかを考える事のできる中学生。

私は、メロスの最後が落ちである事すら分からなかったし、太宰治の気持ちも分からなかった。多分私はその時偏差値が70超えの中にいたけど65とかそんなもんだったんだと思う。
だから、走れメロスの著者が太宰治だとか、太宰治の代表作は斜陽とか人間失格とか、そう言うのは勉強してたから知ってた。それが努力の末の65。
メロスの落ちで太宰治の気持ちを推測できるのが70。他の作品作風や太宰治の生涯を踏まえてメロスに続きがあったらこうなると仮説を立てて、論文書くのが75以上。
これが中1の国語の授業。

彼は、走れメロス読んだ事ない。と言った。

私もあまり詳しくは覚えていない。けどその授業は鮮明に覚えている。なぜなら、授業についていけないと確信した瞬間だったからだ。

私も彼も、走れメロスを今同じように語れない。なのに経緯が全く違う。
私は死を決意するほど落ちこぼれて、愛される事に飢えながら心を病んで、彼に辿り着いた。
しょうもないイタズラばかり仕掛けて、おかんに怒られて、毎日楽しくて夢を持って東京に出てきた彼は、私を見つけた。

私が欲しくてたまらなくて、でも手に入らなかったものを、全部持ってる。
親からの無償の愛とか、親友とか、気兼ねないとなりのおばちゃんとか、退屈で刺激を求めて友達と飛び出す瞬間とか。

頭の良さ以外で自分を認めてくれるお母さんとか。

星なんかほとんど見えないのに、教科書で星座や星の位置や明るさを覚えて、彼は満点の星空を気にすることもなく毎日肉眼で見ていた。

私の知っていることは脳に貼り付けただけで、彼は多くの事を体で知っている。

人に愛される事すら、無頓着。

私もそうでありたい。
死ぬ事を自然の一部にしたい。こんなに破滅的な気持ちじゃなくて。