うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

あせった。だってそこは闇に違いなくて、苦しい場所だ。

朝、久々に過呼吸になりそうな、あの、ぞわぞわした感じが体の中にいた。

本も読み終わったとこで、地下鉄で、混んでて、また暗いところに引きずりこまれるかと思った。

暗いところって言うのは、私が13歳から25歳まで迷い込んでた心の箱みたいなところ。

そこは真っ暗で音もなくて、ひとりで、私は、白い服を着てて、うずくまって泣く場所。

私は、結構頭のいい、ガリ勉タイプの私立の中学に入って、入学後すぐに落ちこぼれた。びっくりするぐらい、勉強について行けなくて。

友達も、うまくできなくて。

学校辞めたかったけど、親は、私が賢い学校の制服着て町を歩いてるのが自慢だったから、私の実情を直視してくれなかった。

ついて行けないのは私が悪くて、高校で違う制服に変わるのはみっともないとか、お姉ちゃんは三者面談で褒められてばかりなのに、あんたって子はとか。

そーゆーので、私は思春期ってのもあって、簡単に壊れてしまって。中3になる時に、そのままエスカレーターで上がれる高校を辞めさせて下さい、お願いします、って言って

こどもだったから、死んでお詫びしようとか、馬鹿な事、考えて、でもどんな方法も怖くてなんもできなかった。

バカすぎて死ねなくてごめんなさいって思って、なんか大人になったら死ねるんじゃないかと思って、

10年後の誕生日にきちんと死のうと決心した。今となっては、なんで10年後なのか、なんで誕生日なんだか、全然理解できないけど、なんか中3の私はそう決めちゃってて。

感情を殺す練習をしたり、いつ死んでもいいように、物をどんどん捨てたり、一端にタバコ吸ってみたり、バカバカしい事をたくさんしてた。自分に酔ってたんだと思う。可哀想な私が好きだったんだと思う。

で、25歳まであと少しになった時、心が本当に壊れた。仕事も行けなくなって、家で自殺する隙ばかり狙ってる、狂った生活が始まって

手首切ったり首吊ったり、薬大量に飲んだり二階から飛び降りたり、いつも、助かる程度に何度も何度も何度も死のうとしてた。

助かるっていつも、分かってた。
胃を洗浄しても、傷を縫合しても。
お母さん、私死にたいよって10年分吐き出してた。

10年前、期待に応えられなかったから、見捨てられるようにわざと荒れて、涙我慢して、心を殺す訓練して、それでやっと、お母さんにまっすぐな気持ちを言えた。

思い通りに育たなくてごめんなさい。死んでお詫びしたかった。って25にもなって、バカみたいに。

でもやっぱり私は死ねなかったから、なんかふらふらして、出会った男と結婚して、妊娠して、出産して、離婚して、家に帰ってきた。

帰ってきたら、私は普通の人っぽくなれてた。子どもが可愛かったから。この子に私の闇を見せまいと、普通の人っぽくしなきゃって、思って。

感情を殺すのは出来る。ただ愛してれば大丈夫だと思って。

そしてお母さんは私の息子が思い通りに育たなくて、イラつく。怒鳴るし、物を投げる。

息子が泣くから、私はお母さんに怒ってしまう。

そして後悔する。私が謝ればよかったとか、私があの子をキチンと守れてないからだとか。

そして、そんな朝、仕事に向かう時に闇に戻りそうになって、吐く。

死んで詫びろって誰かが私に言う気がする。

ごめんなさい。息子がハタチになるまで、そばにいたい。そしたらちゃんと死ぬってまた決心する。

私は結局、いつも同じ所にいる。