うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

心が病気だった。

心が病気でした。もう8年前の話です。

8年って言うのは、病院に行って病気ですと診断された日。だから本当はもうちょっと前から病気だったんだと思う。

その日から約2年、病気と闘いました。闘うって言うとかっこ良いけど、とてもかっこ悪い日々でした。

鬱病です。やる気ゼロ。死にたい気持ちはやる気100%。そんな毎日。

手首切ったり、いろいろしました。今だとリスカって呼ばれるのね。

私は沢山切ったりはしてないのですが、それでも左手首の内側を見ると、息が詰まりそうになってしまいます。

どうしたの、それ?と、誰かに聞かれても、いやあ、昔死のうと思ってさー、みたいにはいきません。

昔ちょっと、ココロがあれで、とも言えません。

むしろね、気づいても誰も何も言ってこないの。当たり前だけど。

だから、どう思われてるのか全然分からない。本当に気づかれてないのか、気にしてないのか、陰で何やら言われてるのか。

結局自傷行為は、何も生み出さなかった。しなければよかったと後悔が傷と同じで消えません。

本当に、めんどくさいやつだと思われるし、誰一人本当の意味では理解なんてしてくれない。

だって、私は誰の事も理解できないんだもん。そんな私を理解してくれなんておこがましい。

他人を心底愛せなかった私は、誰からも愛される筈もない。

だから、結局人間は一人だって事。表面が繋がったって、何の意味もない。

2年間頑張って死のうとしたけど、立派に社会復帰しました。本当は今でも、ココロは揺れます。時々。

かまって欲しかったんだと思う。最初は。それをこじらせて、病気になったんだと。

捻くれ者だから、素直にもなかなかなれなくて、強がったり弱ぶったりの調整が効かなくなって。

今は、調整が効くようになった、と言うか、強がったり弱ぶったりしなくなった。そこまで、人と関わらなくていいような調整をするようになった。

変な感じに大人になって、ひっそりと社会人として生きてる。仕事で関わる分には、少し変わってるけど、可もなく不可もない人でいれている筈。

息子を愛して初めて分かるのは、愛される事よりも愛する事の方が幸せ。やっと心が居場所を見つけた気がします。

私の幸せはすごく小さいけど、十分。みたされてるから、他人に愛されなくてもいい。一人とはそういう事。