戻るところ。
聲の形を見た。
かつて私はいじめる側とイジメられる側を行き来した事がある。
小学校高学年の時。割合的には7:3でいじめる側の方が多かった。
いつ、自分がイジメられる側になるかわからない。
だから先にいじめる。先に悪口を言う。先に味方を増やす。
それでも自分がイジメられる側になった時、絶望的な気持ちになった。
イジメられると言っても、無視されたり、ハブられたり、体ではなく心を攻める方法ばかりで、金銭が絡まなかったのが不幸中の幸い。
そのノリで、私は私立の中学校へと進んだ。
ローカルルールを世界の常識くらいの、間違ったノリで。
さっそくできた友達から、1人選んで仲間外れにする。悪口を言う。
そして私の身は安泰だと思っていたのに、気がついた頃には、私は全く友達がいなくなった。
私は知らなかった。みんなが仲良くする世界があるって事を。いじめる、イジメられるが交代制ではない世界があるって事を。
私はいじめられなかった。みんなそんなに子供ではなくて、ただ、友達のいない子になっただけた。
それでもクラス替えのタイミングで、少し話しかけてくれるこがいた。
少し仲良くなっても、その子にはもう仲のいい友達がたくさんいるから、結局席替えの時に離れるともう話すことはない。
私は出足を間違えた。後悔しても反省しても、友達はできなかった。
その頃の私は成績も悪く、母の毒牙にかかっている真っ最中で、それで死のうと決意していた。
中2の時、15歳の誕生日に死ぬって決心した。
周りからヤバイやつだと思われて、友達もいなくて、親にもけなされ続けて、ただ全部自分が悪いって事は分かっていて、後悔してもダメで、高校にも上がれないって言われて、生きている価値がなかった。
誰にも、何かを相談する術もなかった。
なんで死ななかったのかというと、単純に死ぬのが怖くなって、あと10年だけ、生きさせて下さいって、自分に縋った記憶がある。
そこからの私は、カウントダウンを始めて、10年後の25歳に向けて、うつ病になってしまった。
今度こそ死ななければ、と言う焦りに押しつぶされて、心がじわじわ壊れていった。
もちろん10年もあったから、楽しい時もあった。たくさん人間関係を学んで、きっと普通の人はこれは傷つくんだとか、嫌な気持ちになってるんだとか、これは冗談とかの区別もつくようになった。
彼氏もいて、依存して、捨てられて。体と心の距離感は、全然わからなかった。
25歳になる頃にはすっかり病んで、精神科に通っていた。
死ぬって騒ぐ事も多々あった。
付き合っていたろくでなしと結婚して、ひどい暴力を受けながらも生きたいと死にたいの間にいた。
妊娠して、子供が生まれて、逃げるように離婚した。
聲の形を見るまで、自分がいじめたりイジメられたりしていたのを忘れていた。
忘れたかったんだろう。そこから私は間違えたのだから。
人が自分のせいで傷つくのはとても怖い事だ。それを痛感した私は、今は1人が1番いいと思えるようになった。
自分のせいで、誰かが悲しむのはもう嫌だ。
でも私は人の気持ちがよく分からない時があるから、1人でいよう。
その私がもうすぐ2人目の子を産む。
旦那が優しい。義両親も優しい。息子も優しい。
優しくないのは相変わらずな母と、無関心な父。
私は今、誰かに優しくしてあげられてるのかな?
誰かに優しいねって思ってもらえてるのかな?
ひとつひとつ、壊していく事。
昨日起きた出来事は、私の中では消化されたようだ。
悪夢にうなされて、朝起きて、息子と旦那が寝てる部屋に移動して、2人の間に挟まって二度寝した。
途中過呼吸になりそうになったら、旦那がどーした?ってなんか体をさすってくれた気がする。
息子の足が、背中をぐっと押してくれていて、ちょっと気持ちよかった。
間に挟まれて、すごく暑かった。
でも2人にくっついていたら、心が落ち着いた。
昨日、悪かったのは私だ。感情的になったのも私だ。謝ってももうダメなほどに母を怒らせたのも私。
母に落ち度はない。私がきっと無意識に彼女を傷つけて、母はそれを許さないだけだ。
まだ生まれていない子のお宮参りを台無しにしてしまった。
出産の日は朝からつきそう!と張り切っていた母に、病状説明は生まれた子の両親にしかしない病院だから家にいて、息子が学校から帰ってきたら一緒に連れてきてってお願いした。
それが、自分は不要だと言われたみたいに感じたのかもしれない。
私も姉も長男に嫁いで不憫だ可哀想だ最悪だって言うから、うちの義両親は遠いし、優しいから全然大丈夫。何番目だろうと一緒に暮らすのが一番大変って言ったのも良くなかった。
義両親と同居している母も慮ったつもりが、私が母と同居している事が苦痛だと伝わったみたいだ。
そこに加えて、お宮参り。母はどれだけコケにされたと思っただろう。
この、手のかかるクソ娘に。
だからきっと、客観的に見たらどっちもどっちで、私がちょっと無神経だった、という結論なんじゃないかと思う。
どっちが悪いかあえて決めるなら、母の激情型の性格を分かっていて刺激してしまった私に非があるだろう。
ひどい悪夢を見た。犯罪者になる夢。世の中には犯罪を犯す人と犯さない人の2択で、私は犯す方だった、と思う夢。
全てを台無しにして、たくさんの人を傷つける側の人間。
本当の孤独に落とされる夢だった。
目が覚めて、旦那と息子の間で二度寝してる時は、夢は見なかったけどうなされた。
後悔が、溢れ出て。
謝れないのも私の悪い癖で。謝ってもまた追い討ちをかけるように責め立てられるのが分かっているから、それを受ける覚悟ができなくて、謝りに行けない。
家にこもると辛いから、近所のカフェに来た。
アイスのデカフェを頼んだらホットカフェラテが出てきて、泡が熊になってて、アイスのデカフェ頼んだって言えなかった。
一生懸命描いてくれた熊を、台無しにしたくなかった。レジでマグカップでいいですか?って聞かれた時に、??って思ったのに。その時に言えばよかった。
私は少し家から出て、1人で外の空気をゆっくり吸いたい。
産まれたらまたあの家に軟禁されてしまう。
そして自分の息を止めてしまう。まるで生きていないみたいに。でもそれが一番の平穏。
死にたいなって思ったらダメなのに。溢れ出て止まらない。
妊婦だから、ホルモンのバランスが崩れてるせいにしよう。
壊したのは私だ。いつだって私は壊していく。幸せなんてすごく脆くて、儚い。
悔しいという気持ち。
久しぶりに母が吠えた。
生まれてくる子のお宮参りの日程がまだ決まっていないのに、噛み付いて来た。
息子の予定と仕事の予定で決めるけど、この日かなって言う日に旦那の両親が来れたらって話をしたら、
その日は同窓会だから欠席するわって言われて
いや、まだ決まってないから。もしどうしてもその日になっても、向こうの両親は働いてて遠くからこっちに来てもらうのに、地元のあなたが同窓会でいないのは困るっていったら
なんで私の予定だけ無視するのよ!ってヒステリックに吠え散らかした。
だから、まだ日程決めてないんだってって何回も言っても、聞く耳持たずで
その日は避けるようにするけど、うちの仕事と息子の予定優先するからね、って言ったら
冗談じゃないわよ!うんたらかんたら…。
お宮参りは嫁の実家の出る幕じゃないって一昨日まで言ってた人が急に吠えて吠えて
いや、うちの仕事の都合ありきで、もう分かったから、あなたの同窓会は行けばいいじゃないと言ったんだけど
バカにして!誰のおかげでうんたらかんたら…。
あぁ、もう何言ってもダメなやつだ。同窓会の日程外して、お願いしても来ないやつだ。土下座しても来ないだろうな。
お金包んだら来るかもしれないなんて考えてたら、もう嫌になって涙が出そうになった。
まだ、日程決まってないのに、なんでこんなに責め立てられたんだろう。
私がその日しかダメだったら同窓会じゃなくてお宮参りに来て欲しいってわがまま言ったからかな。
その日は外しましょうねって最初から仕事の都合がどうあれ優先してあげるべきだったのかな。
涙が出たら負けなんだ。
父親が母に、それはさすがにわがままじゃないか?まだ日程決まってないし、って言ったのも気に入らなかったみたいで、あんたまでなんなのよ!だいたいあんたはいつもうんたらかんたらでって矛先変わっちゃって
泥沼で
泣いたら負けだから、私は無になって、今何してたんだっけ?ってもうわけがわからなくなった。
こんな話旦那にもできなくて、布団に入って1人で泣く事にした。
悔しくて悲しくて、また自分を痛めつけたい気持ちが湧いて来て。
来月生まれて来る子がお腹にいるのに、私なんか死ねばいいって何度も自分を呪ってる。
やっと幸せな毎日を過ごせそうなのに。
一日も早くここを出ないと、また私死ぬ方に引っ張られてしまいそうで。
私は幸い、義両親と仲がいい。すごく優しくて、まっすぐで、私もこの人たちの子供に生まれたかったって思って。
たぶん平凡な、どこにでもいるお父さんとお母さんなんだけど。
私が義両親と仲良いのも、母は気に入らない。
自分が姑に意地悪されてたから、あんたの姑も影で何言ってるかわからないわよ、とか、すごく言ってくる。
影で何か言う人ではないし、言われてても私の事なら仕方ないと思う。
でもそんな人じゃないよって私が言うと、すごく馬鹿にした顔でよかったわねぇいいご両親でって今度は父親に、私はあなたの親にこんな仕打ちを受けたって30年以上前の恨みつらみをぶち当て始める。
悔しいのかな。と思う。自分が掌握できない世界を私が持ってしまう事と、それが自分より幸せである事が。
あんたの分際で、私より幸せになるなんてってそんな事は言われないけど何となく、伝わる。
逃げなくてはいけない。そろそろ私は私の人生を歩みたい。
でも今は消えたくて死にたくて、生きていたくて、息子達を愛していたくて、旦那も大切にしたいのに、どうして私は死にたいんだろうって、涙が止まらない。
その気持ちを抑えるのに、自分を痛めつけるのはダメだ。どんなに切ってもどんなに血を流しても、解決して来なかった。
でもたまらなく痛めつけたい。死にたい気持ちから逃れたい。
妊婦なのに。
不謹慎だね。
今日は泣いて、涙流して、明日謝って、許してもらえなくても謝って、取り繕ってそれで、何だっけ?なんで私、謝るんだっけ?
幸せでごめんなさい。
フラッシュバックと自分の気持ち。
息子をみていると、過去の自分を思い出してフラッシュバックしてしまう事が増えてきた。
魔の「あの頃」に、息子が近づいてきた事が原因だと思う。
私は必要以上に、息子を辛い思いから遠ざけようと奮闘してしまう。
このままいくと辛い思いをする、と思ったら予め避けて通らせたり、一人でわたわたしたり。
息子がそれを望んでいるかどうかは全く知らない。
ただ私が、自分の「あの頃」に気持ちが戻ってしまって、一日中塞ぎ込んだり、悶々としたり、苦しくなったりを繰り返している。
彼は彼の人生を歩んでいて、私の人生とは別物なのに。
あんな思いをこの子がしたらどうしよう、いやだ、助けて。
そんな気持ちに振り回されて、本当に彼がどう思っているのかを見誤りそうだ。
私は味方だから、絶対ずっとあなたを守るから、安心してって不安も何もない子に突然言ってしまう。
旦那と息子が些細なもめ事を起こすだけで、私は旦那から息子を守ってしまう。
それは必要ないって思っても、自分が傷ついたみたいに私は悲しくなって、いやだいやだと耳を塞いで、逃げ回る。
この子が傷つくのが怖い。私みたいに、死にたくなってしまったらどうしよう。私みたいに、孤独になって、何度も何度も手首を切ったらどうしよう。
かといって、彼を取り巻く物事全てから、守ることはできないし、成長の過程で必要なこともある。
全てを、私が未然に防げば彼は幸せな大人になれるとは限らない。
11歳になった息子は、少しずつわたしから親離れしていて、少したくましくなって、私を気遣ってくれる時もある。
もっともっと子供らしく、何も我慢なんかしないで、笑ったり泣いたり自由な感情で生きていい。
私みたいに、死にたい子供になってはいけない。大人ぶる必要もない。甘えていいし、わがままでもいい。
好きで弟が生まれるわけじゃないのに、急にお兄ちゃんならなくていい。今のままでいい。素直な気持ちで生きていい。
旦那にお前と息子はくっつきすぎだと言われた。何をするんでもママ、ママ好きすぎや。って言われた。
私は、ずっと2人家族だったから、しょうがないでしょう。頼れる相手もお互いしかいなかった。
お互い、辛い時も楽しい時も2人で生きてきたから、今急に4人家族ですって言われても簡単にはなれないよって、伝えた。
ずっと、いいこともやなことも、2人で報告し合って生きてきたんだから。
少しずつ息子が大人になって、話す事も減ってきたけど、それでも1番に出てくるのがママなのは、許してあげてよ。
私は、再婚した事で、息子が少しでも傷ついたら、ほんとに悲しくて、だから息子と旦那の関係性は2人に任せてるけど、私と息子の関係性を旦那にとやかく言われたくない。
せっかく息子が再婚を祝福してくれてて、弟の誕生を、心待ちにしているのに、その気持ちを踏みにじりたくない。
旦那は旦那で思うところがあっても。うまく父親になれなくていい。時間をかけて、2人なりの親子になれたらいい。無理して父親っぽいことしなくていい。
誰も無理しないで、誰もが思いやって、大好きで落ち着く家族でいたい。生まれてくる弟のためにも。
私はきっと、もう一度離婚しても生きていける。でもそうはしたくない。家族で一緒に暮らしたい。私と息子は、もう家族を失いたくないんだ。
ごめんね、息子。不甲斐なく、泣いてばかりの母で。私は君の悲しみを、自分の悲しみ以上に受け取って、泣いてばかりいる。
旦那に相談しても分からないだろう。私の涙は息子にシンクロしてるだけだなんて。
少し嫌なことが学校で続いただけで、私はこうなる。爪を立て始めてしまう。それはまだ、旦那には分からない。でもそれでいい。
私は息子の理解者でいたい。
ヘビーな孤独感。
妊娠8ヶ月になり、まだ働くけどデスクワーク中心になってきた。
打ち合わせやロケハンは元より、現場に出られない。
私が作った物の完成形を見ることができない。
仕方ないんだけど、蚊帳の外なのが地味に辛い。
現場行っても何もできないし、かえって邪魔だし、気を遣わせてしまうし、何かあったら大変だから、行かなくていいんだけど。
経費の清算したり、社会保険の手続きしたり、ほんとに向いてない。
現場に出たい。出れないけど。
旦那は昨日から7月上旬まで帰ってこない。
私の現場にも出てて、帰ってこれないスケジュールになってしまった。
それは別にいいんだけど、すごくすごく羨ましくて、
やっぱり妊娠と出産を経ても男社会で男と同じように生きていくのは、本当に無理なんだと思い知った。
男女平等なんて、元から成立しないから、せめて私が男化している時はまだマシだったけど。
1年弱現場離れたら、戻れるんだろうか。元のポジションに。
もう結婚したから、戻らなくてもいいんだろうか?
私は戻りたいのか、戻りたくないのか、全然分からない。
あの中にいる時はそれはそれで辛かった。
男の人と同じじゃないと仕事させてもらえなくて。
何才だろうとおねーちゃんって呼ばれたり、どんなに頑張ってもアシスタントだと思われたり。
それでも別に、まあいいんだけどさって思っていればやっていけたからね。
今はデスクワーク中心で、主婦のパートみたい。
私は独立してから結婚して、フリーランスから株式会社にした。
旦那と二人でちーさな会社にした。
だから別にがむしゃらに働かなくても大丈夫なんだけど。
旦那さんのお仕事手伝ってるって思われるのがすごく嫌だったけど、結果今はそうなってしまった。
妊婦だからしょうがないね。
私の仕事、旦那が手伝ってたんだけどね。
まあいいや。まあ、いい。
表に出なくていいのは、それはそれで楽だから。
ずっと1人で息子育ててきて、世間のお父さんと同じように稼がなくてはと思って頑張ってきたけど、
もう、ブレーキ踏んでいいんだね。
お父さん、別でいるからね。
お母さんに専念していいんだね。
なんだろう、このストレスは。
慣れかな?
いっそもっと、あからさまな孤独の方が耐えやすい気がする。
気を紛らわすために、word pressだの、premiereだの、shadeだの、勉強し始めた。
なんか悔しくて、旦那とは関係ないところで稼ぎ出そうと思って。
お金になる日が来るかは分からないけど、何もしないよりはマシだと思う。
生まれたらそれどころじゃないな。
2人目が生まれるのは本当に嬉しいんだけど、それとは別の次元で、重い孤独と戦ってる感じ。
だいぶ苦しい。
少しだけ足りない。
Uber EATSって、今の私にぴったりなサービスじゃないかと思って
職場から出なくて済むし、近隣のコンビニ食い尽くしたし、近隣のファミレスも行き尽くしたし、昼ごはん一人分作るとか超めんどくさい。
家まで持ってきてくれるなんてサイコーじゃないかと思って、出前とは違うオシャレ感あるし、頼んでみようと思ったら、ちょっとだけ、ご利用圏外だった。
あと道2、3本向こうなら届けてくれるのに。もう道に迷った配達の人がこれちゃうレベル。くやしいなぁ。そのうち圏内に入れてくれるかな?
断念して、歩いてタリーズまで行ってパスタテイクアウトしようと思ったら、なんとSold Out…
せっかくきたのに。せっかく、わざわざ歩いてきたのに。
他のでも良かったんだけど、口がパスタを待ってしまってるから、でももうお腹も空いてるし、面倒だし、結局セブンイレブンでカルボナーラとサラダ買って帰った。
結局、いつものお昼ご飯。作ればいいんだけどね。
妊娠7ヶ月で、8.5Kg も増えてしまったから、食事指導がそろそろ入るっぽい。でもこれには少し訳があって、妊娠直前に2Kgくらい太ってて、太る前の体重で申告したのと、家と病院だといつも病院の方が1Kg重く表示される。
だから本当は、5.5Kg増な気がするんだけど、まあいいや。12年前の初産の時17Kg太ったしな。それも7ヶ月あたりからぐんぐん行ったから、油断できない。
家を買おうかね、って話をしているんだけど、税理士に相談したら私はすでに住宅ローンを組んでいるから旦那一人で組まなくてはならないらしい。
無理っぽい。過去の借金の記録って、どのくらい引っ張るんだろうね。超引っかかりそう。
この辺りで家を買おうと思うと、5000万〜7000万くらいが相場で、4000万台だと、この立地はちょっと暮らしにくいねってところか、細っ!ていう家になってしまう。
頭金もロクにない、計画性のない私達らしく、住むところもままならず、別居婚を続けてる。来年の4月には新居を構えたい。どうしても。
中古マンションならもうちょっと安く買えそうだけど、いかんせんローンが組めなさそう。私のローン無くしたい。家売りたい。
ここに暮らせばいいと母に言われて、断固拒否を続けてる。仕事がなくても、仕事場に借りてる所に1日篭ってる。もう解放して欲しいのになかなかわかってもらえない。
家のローンは払うから、お願いだから出ていかせてってだいぶ前にお願いしたら、父親は自分たち2人には大きすぎる家だから、私たちがここに住めばいいと言ってくれたんだけど、母が喚いたのでその話は立ち消えた。
どうして私が出て行くのよ!の後は、なんて言ってたか聞き取れなかった。私と父は、また始まったかぁと思って、もう触れたくもなくて、金切り声をひたすら聞き流した。おそらく母は、なんかの病気だ、と思って、心を無にすれば聞き流せる。
私と息子がいない事がどうしても許せないらしい。
早く出ていかないと、何もかも奪われてしまいそうで、私の気持ちがまた安定しなくなってきそう。
何もかも、少し足りない。
ローンが組めないと、家が買えない。賃貸でもいいんだけどね。賃貸で4人で暮らそうと思うと、15万くらい。プラス私のローン。親が死んだら売りたい。全然いらない家なのに、お金だけ払い続けるなんてね。
売りたいな、家。私いらないんだけど。
私がいないと維持できないって言われたから、仕送りすればいいですか?って聞いたら、また喚いた。
要するに、出て行く事が嫌なんでしょうね。私を縛りたいんでしょうね。お金なのか寂しさなのか知らないけど。私の人生よりも自分の欲望のために。
早く出て行こうと思う。ローンが組めないって分かったら、賃貸に切り替えて探そう。そんなにたくさん物件ないんだけどね。
最近、胎動が激しい。穏やかな気持ちで出産したい。穏やかに、解放された場所で自分の人生を歩みたい。何もかもを望むのは贅沢な事なんだろうけど、できる限り頑張りたい。
太らないように、酵素飲んで、太らないように間食しないようにして、一生懸命お腹の中の命を感じている。息子と一緒に、生まれてくる日を待ってる。あと、旦那も。
もう少しで、普通の家族になれそうなのに。もう少しで普通の家庭を築けそうなのに。いつも、少し足りない。
日常。しあわせ、ふしあわせ。
結局ゴネたり喧嘩したり、泣いたり伏せったり、あの手この手をしたけれども私は結婚した。
なんて言うか、私は何を嫌だと思うか、を、説明する事ができなかった。
結婚したくなかったら、子供を作るべきではない。
きっとそんな風に批判される思考回路なんだろうなと思う。
けれども、私は色々な人に助けてもらいながらも、11年間ひとり親をやってきた。
旦那がいてほしいと思った時も、お父さんが欲しいと思った時も、ずっと一人で耐えたり気にしないフリして生きてきた。
息子は心の支えだった。いつも、一人でも、一人じゃないって息子が私を支えて、私が息子を支えてきた。
寂しくて二人でぴゃーぴゃー泣いた時もあったし、キャッチボールが下手な私に息子が逆に付き合ってくれて、教えてくれたり、私たちは私たちなりの親子の形を作って生きてきた。
二人でたくさん喧嘩もして、怒って、笑って、泣いて、それでも親子でよかったねーって言い合えた。
仕事ばっかりで家にあんまりいれなくても。仕事頑張りたいのに、ここぞと言う時に学校行事で有給取らなきゃいけない時も。
よかった、って後で思えるように、私なりに息子なりに、全力投球で生きてきた。
そこに、彼はいななかった。いて欲しい時もいなかった。
私は、彼が好きだったし、息子も彼が好きだった。
彼に結婚しようと言われた時に思ったのは、私には無理なんじゃないかと思った。
でも、母子家庭なんだから負い目があって、子連れ再婚のくせに贅沢言うなと、結婚してくれるだけありがたく思え、と自分でも思っていた。
でも、なかなか踏み切れなくて、歳だけ取って行って、子供産めなくなっていく焦りもあって、性欲も無駄にあって、じゃあどうしようって、結婚にリミットはないけど、出産にはリミットがあるから、産めばいいと思った。
私は一人で育てられる。
その気持ちは、みんなで一つの家族になりたい、と言う願いの裏返しだった。
どうせ、私は結婚できないから。一般的な幸せは縁遠いから。色々な感情が欠落しているから。せめて好きだと思う人の子供を育てる事は、許してもらえないだろうかと願っていた。
母子家庭のくせに腹ぼてなんて、みっともない。所詮、自分の欲望で生きてる。
結婚していいかどうか。うまくいくのかどうか。私は旦那が必要なのか。とか。不安とか焦りとかが色々相まって、たくさん泣いた。
で、結局結婚した。
彼は素直で、息子は優しくて、私を二人で懐柔して、大丈夫、大丈夫とあやしてくれた。
私はずっと、不安の中で生きている小さな子供のままで、生きる価値もないんじゃないかと時々打ちのめされて、いまだに時々息もできなくなって、唇を噛み締めて生きていく事に、慣れすぎていた。
そんなに、苦しい中で生きなくていい、って教えてくれたのは、息子と彼だった。
分かっていはいても、ここから出られる気がしない。結婚したって、私はずっと酸欠みたいな世界から出られるなんて思えない。
それでも、いつかここから出られると信じてた時もあったんだ。それから、永遠にここから出られないと諦めた。
もう、諦めてしまったから、私は出られない。そんな風に自分を檻の中に入れた。わたしがいる世界に、幸せはないんじゃないかと。
息子がいる世界の幸せを、わたしはここから祈ろうと、そんな感じで生きてきた。届くんだけど、交わることの無い明るい場所に息子はいた。そこに彼もいた。わたしだけが、出られない檻の中にいた。
気づけば檻の鍵は内側にあった。わたしが自分で鍵をかけて、外からは開けられないようにしていた。
わたしは結婚した。秋には子供が産まれる。
たくさんの人に、おめでとう、をもらった。私は幸せになってもいいのかとまだ、わからない。
あなたには無理よ、と母に言われた。結婚生活なんてあなたには無理。うちで暮らしなさい。どうせできないんだし、二度も失敗したらみっともないから、別居したままここにいなさい。それ以外は絶対、無理だからだめ。
ここを出ていくなんて、絶対だめ。無理。できっこない。あなたが幸せになるなんてありえない。子供は私は育てるから大丈夫。お金を稼いできてちょうだい。
思った通りの事を言われて、少し悲しかったけど、やっぱりそうか、私には無理なんだ、と諦めようとしたら、息子が、無理じゃないよ。大丈夫だよ。ママと俺はお父さんと赤ちゃんと、家族になりたいよ、と言ってくれた。
息子を産んで、もう一人身籠って、それでも、まだ、生きてていいか自信がない。そんな奴が親になるなと非難されるだろうな。でも命を繋ぎたかった。私が見れない明るい景色を、息子には見て欲しかった。
たっぷりの酸素の中で、光をちゃんと浴びて、空も見て。時々雨は降っても大地は潤って、そこから芽が出るような、そんな人生になったらいい。
私はここから出られないから。
幸せと不幸せの二つに分けるなら、私は幸せになりたいけれど、それは絶対私には無理だから、幸せになる事を必死で諦めている。絶対無理って決めたのは、母だ。私はそれに従わないと死んでしまうと思い込んでいる。
だから私は不幸でいないといけない。少なくとも母より幸せにはなってはいけない。絶対に。だから檻から出てはいけない。誰かに愛されようと愛そうと、そんな尊い世界に足を踏み入れてはいけない。
こんな抽象的で、大半の人が分からないような自分語りを、こんな所に吐露して、私は一体どうしたいんだろう。
きっと、誰かに理解されるのは難しい。私のしている事は非難されて然るべき。けれども私を非難する人は、明るい世界の人たち。明るいところから暗い世界を見下ろした時に、なんて下衆な女だと、鼻をつままれる。
ただ、私もそっちで生きたかった。多分それだけのこと。