うそ、ほんと、日常。

なんかいろいろ失敗だらけの私の日常。

理屈ではない戸籍の事。

私は1度目の結婚の時、私の姓を選択した。なので、離婚した時、元旦那が戸籍から出て行き、私と息子はそのまま私を筆頭にした籍にいる。

 

また今子供ができて、結婚問題が再浮上してきた。私は全く乗り気になれない。じゃあなぜ妊娠したのかは、一旦置いておいて。

 

彼は自分の家の後を継ぐ事に非常にこだわっている。

 

息子はこどもだから、分かることと分からないことがあって、私と彼が結婚して、家族になるのは嬉しいけど名字変えたくないっていう、本当にシンプルな考え方。

 

彼は実家の後を継ぐんだと強く言う割に、私が後を継ぐって具体的に何するの?って聞いても何も出てこない。

 

もしかしたら戸籍が先祖代々1つなんだと思っているのかもしれない。昔みたいに家督を継ぐ制度が残っていると思っていそうだ。

 

婿養子は嫌だと散々言われて、婿養子なんて制度もうないよって言っても、多分理解していない。

 

息子には私の家を継いでもらって構わないと言われたんだけど、私も息子も継いでいない。継ぐって何?理解できない。財産を相続するって事?それなら私は姉妹だから嫁に行った姉と平等だし、別に私が後を継ぐものなんて何もない。

 

生まれてくる子は彼の家を継がせたいらしい。女の子だったら?って聞いたら、継がなくていって言われた。

 

彼の実家は20代続いていて、彼は男3人兄弟の長男で、次男は半行方知らずの未婚で、三男は娘が2人。つまり私のお腹の子が男だったら待望の跡継ぎだと考えるらしい。

 

行ったこともない土地の、1人も親戚も知らない家の後を継ぐ?ってなに?

 

じゃああなたが実家を離れずに親元で暮らしていればよかったじゃないと、ほんとにイライラする。

 

私は息子の姓を変えたくない。息子だけ別の戸籍は嫌だ。だから私の戸籍に彼に入って欲しい。そして4人家族になりたい。

 

息子が成人したら、彼の姓になってもいい。後を継ぐとかそう言うことではなくて、私たち家族にとっていい方法を選びたい。

 

こじれそうだから、シングルでいいと彼に言った。何年も解決できなかった問題が、子供ができたぐらいで解決できると思わない。結婚できるのならしたいけど、無理が生じるなら認知だけしてもらって、私の戸籍に子供2人入れるから、あなたは1人で後を継いでって言った。

 

女の子なら継がなくていいから名字なんでも良くて、男の子は継がないといけないから結婚は必須って考え方も違和感しかない。

 

家の存続の為に結婚するんじゃない。こどもの幸せが1番だから、だったら私は結婚しない。

 

理解してもらえる日は来ないだろう。息子が成人するまで、結婚しないという選択になりそうだ。息子が成人する時、2人目の子のは8歳だ。名字変えたくないって、また言われるのに。

 

私、1人で産む。もめたくない。子供無事に産みたい。涙出る。私と息子の希望よりも、大切な家督なら、実家帰れよ。名字名乗るだけで家を継いだ気になって馬鹿みたい。

 

家を継ぐって、名前を残すことだけじゃない。なんで分かってくれないんだろう。

 

ほんと馬鹿みたい。ほんと馬鹿。わたしが1番、馬鹿だ。

 

 

99%子供ができた。

まあ、妊娠検査薬の信憑性がいかほどかって話によるけど、あれが99%と言うなら、もうそうなんだろうなと思う。

 

結局私は成長する事なく、四十路近くになり、11年ぶり2度目の出産を無事に行えるのかの方が今は気がかり。

 

節操なしの股のゆるい女は、死ぬまでゆるいんだろう。昔はそこに本当の愛があるって信じてた頃もあったんだ。

 

今はもう一人でもやっていける自信がこの結果を生んだんだと思う。

 

できちゃった再婚はさすがにみっともないとか、もともとあの人と再婚する気なかったとか、一人で育てるつもりだとか、どうしたって言い訳になる。子供ができるってそう言う事だ。

 

まず結婚だのなんだのより、38歳になる訳だし、無事に産みたくてそっちが気がかりで、でも少量の不正出血もあったから、もしかしたら妊娠ですらないかもしれない。あと数日したらもう一度検査薬で調べてもう一回陽性だったら病院に行こう。

 

全てはそこから。

 

私、再婚したくない。じゃあなぜ妊娠したのかと。またがゆるいアホだからだとしか。母親のくせに恋愛して、後先考えない身勝手な親だからとしか、言いようがなくて。

 

でも、妊娠してて欲しいなー、私のお腹に子供いたらいーなーって思ってて、自分でも死ぬほどアホなんだろうなって思う。

 

息子は兄弟欲しがってたから大丈夫!とは思ってない。何かしら彼にとって歪みは出るだろう。私は彼を幸せに過ごさせる義務がある。それは必ず。

 

じゃあなぜ妊娠したのかと。歪みが出ると分かっていてなぜ?

 

産みたかった。あの人の子供を産みたかった。結婚の事はゴタゴタして諦めがついたけど、子供は諦められなくて、結婚と違って出産は期限があるから、最後の悪あがきをしたんだ。

 

だからアホなんだろうな。子供ができた事で結婚の話が蒸し返されるだろうなぁとは思うんだけど、私は頑なに拒否できるだろうか。

 

父親の違う11歳離れた子供を一人で育てるって、やはり子供もそういう目で見られるんだろうな。

 

そんな事まで考えて、結果陰性かもしれない。陰性だったら、また子供作るか作らないか、作るんだろうか。もうそれこそ諦める時なんじゃないかと。

 

明日は東京も雪が積もるんだって。

病んでない時の雪はどんな感じなんだろう。私今、身勝手だけど幸せかもしれない。

 

本当は結婚もしたかったけどね。それはもう終わった話だからいいや。とりあえず週末までにもう一回検査。

 

 

 

2周回って、また好き。

私は中学高校くらいの間、B’zがすごく好きでライブにも結構行ってた。

 

今は名前が違うけど、千葉マリンスタジアムに2日連続行って、同じツアーで横浜スタジアムにも行って、とかやってた。

 

ハタチ前後で、自分が変わったのか、音楽が変わったのか、だんだん自然と好きじゃなくなって、ライブどころかCDも買わなくなった。

 

それから、紆余曲折あって、そして例の?彼に出会い、なんやかんや話していたら同じ時期に同じくらいの思いでB’zが好きだった事を知り、急激に仲良くなった。

 

同じ時期にB’zから離れていて、その原因も同じようになんでだか分からないけどなんとなく好きではなくなってしまっていた。最初に買ったCDも、最後に買ったCDも同じだった。

 

唯一違ったのは、彼はライブに行ったことがなかった。すごくすごく田舎の子だったから、1番近い会場でも泊まりの距離で、自分なんかが行けるとは思ってもいなかったらしい。

 

その代わり?コピーバンドを組んでいたらしい。すごく青春の匂いがする。

 

そんなこんなで私は一昨年、思い立ってツアーのチケットを取って、彼を連れて行った。横浜アリーナで、私が中2の時、初めて行ったライブと同じ会場だった。

 

もうあんまり好きじゃなかったけど、せっかくだから一度くらい彼に生音を聞かせてあげたかった。本当は当時の、憧れ真っ盛りの彼に聞かせてあげたかったんだけど。

 

それでも私たちは15年くらい離れていたのに、ライブに行ってまた好きになった。席も遠かったけど、やっぱり痺れた。

 

当時とは全然何もかもが違ったけど、なんかすごく良かった。

 

そして今日、大人になって二度目のライブに行ってきた。

 

さいたまスーパーアリーナ。ライブ会場としては初めて。

 

すごく運が良くて、前から10列目くらいのどセンターの席で、開演前に震えた。そしてやっぱり彼らのライブに痺れた。

 

アルバムツアーなのに、アルバムの曲をほとんど覚えないまま参加したからあんまり知らない曲ばっかりなのに、痺れた。席が良かった事もあったけど。

 

B’z好きって、なんか恥ずかしくて言えない感じがして、好きだった事すらあまり言わない。B’zが恥ずかしいというよりも、何かをすごく好きでいることに、胸を張れない。そんな感じで、昔からあまり人には言わないでいた。

 

中学高校時代って、自分が好きなバンドのCDを、すごくいいから聞いてみて!って貸してくれる子とかよくいて、興味ないけどとりあえず借りたりした。

 

ミスチルとかGLAYとかラルクとか、なんか色々聞いたけど、悪くはないけどすごく好きってほど、ピンときたのはいまだにいない。

 

hideは別ね。そこもなぜか彼も一緒。 blue bloodとかjealousyが好きでそのあとX離れしてB’zに移ってでも hideはそのまま好きって言う音楽の趣味は全く同じ。

 

1993年頃から2000年ごろまで。93年以前のCDやライブビデオは擦り切れるほど聴いたり見たりしていたから、デビューから2000年くらいは網羅している。そして2000年から2015年はすっ飛んでいて、このところまた好き。

 

当時と変わらないものなんて何もないのに。

 

東京ドームでも良かったんだけど、ドームは広すぎて、帰りの足も混むし、あえて埼玉。良かった、とても。

 

見た目とか曲とか演奏とか演出も好きなんだけど、彼らがまだこれだけの曲を作り続けていて、これだけ集客できるのに、90度のお辞儀をステージ上で何度もする姿が、きちんとしていて好き。

 

私も仕事きちんとやろう。感謝の気持ちを忘れず、驕らず、腐らず、90度のお辞儀を忘れない仕事の仕方がしたい。

 

次もまた行こう。

 

 

 

 

 

37歳前半を振り返る。

最近、フリーになりましたって挨拶行って、お、とうとう結婚ですか?ってくだりを何度もやった。

 

あ、いえ、全然です。って言うと、とても盛り下がる。

 

もう37歳ですよ。なんならもう半年で38歳。お相手は四十路ですよ。今更そんな厄介な事にしたくないです。

 

結局歳なんか、ただの数字だって人もいるけど、おおよその日本人は、歳で判断する。世代で線も引くし、くくるし、分ける。

 

あーもうそんな歳?まずいねぇ、結婚はちょっとキツイねーって感じになるんだけど。

 

結婚したかったんだけど、完全にタイミング逃して、ズルズルしてる私はしょうもないおばちゃんになってきた。

 

ときどき、ここに赤裸々な事を書こうかななんて魔がさすんだけど、そもそも需要ないのに、ばばあの下ネタなんてキモすぎって我に帰る。

 

自分では、本当のとこはばばあなんて思ってないんだけど、自虐的に表現しないとプライド高いと思われがちだし、まあ確かに若くないし、熟女ってもうちょい上っぽいし、なんとも中途半端で、ばばあと言わざるを得ない。

 

年取ったなぁとは思うし、若くないのも分かってるし、大人の女って柄でもないし、なんだろね、自分でばばあとか言ってると老ける気がして嫌だな。若い子に言われるのは気にならないんだけど。

 

そんな37歳バツイチ子持ちの赤裸々なんて、まあキモいと言うか、下品と言うか、自分でもちょっと抵抗ある。

 

例えば子供がいない不倫妻とバツイチ子持ちの恋愛って言ったら、やってる事おんなじでも不倫妻の方が美徳がある雰囲気。

 

バツイチ子持ちの恋愛って、男にだらしないイメージ。それは私が10年体感して来た。すぐ元ヤン?若い時遊んでたでしょ?って言われる。違うのに面倒で、まあ人並み程度にって返すのが無難に落ち着く。元ヤンにも失礼な話だ。

 

そうやって自虐的に自分を嘘でも卑下してずーっと生きてると、だんだんそんな人な気がしてくる。私は男にだらしないのか?元ヤンでバツイチ子持ちで恋愛しててキモいばばあなのか?そもそも元ヤンって何?

 

仕事はしやすいキャラ設定なんだけど、よくよく考えたらちょっひどい。そんなキャラじゃないと、面倒なやつだと思われる不思議な世の中。

 

仕事関係者は、仕事はだいぶ尊重してくれているのに、わたしのキャラクターは見下してバカにしてイジりたがる人が多い。好きにしてもらってるけど、なんでこんなにって思う事もよくある。

 

あ、なんか私傷ついてるのかも。でも、本当の私は!って言うのも恥ずかしいし主張する程の人間でもなく、クソ野郎ですいませんってヘラヘラしてると楽なのかも。

 

何言ってんだ私。だいぶ迷走してるな。カーズクロスロード見て寝よ。なんだか泣けてくる話なんだよなぁ。

 

雨の夜。

なんか外、すごい雨。クリスマスで雨って風情的にイマイチだけど、別にって気もする。日本だし、東京は雪になったら面倒だし。

 

昔は姉の一家がやってきて、義兄がサンタの格好して姪と息子にプレゼント配ってたけど、姪も中学生になって、来なくなった。

 

息子はいつからか薄々気づいていたから、一昨年あたりからサンタは来ませんと宣言して、普通に手渡しするようになった。

 

とは言え、なんかあれやりたいなぁって思って、寝てる息子の部屋に忍び込んで、ちょっとしたものを枕元に置くようになって、今年も息子はそれは本物だと信じてる。

 

俺今年、あんまりいい子じゃなかったから、来ないかなって不安そうにしてた。私は一応用意しているんだけど、まぁそればっかりは分からないよねって合わせてる。

 

枕元に置くやつは、欲しいもの聞いたりしてなくて、あんまり高価なものではなくて、喜びそうなものを選んでるので、あげる側もちょっとドキドキする。

 

これかよ、みたいに思われたらどうしようって思って、アンパンマンのおもちゃとかだったらどうするー?って聞いたら、おまえにはそれがお似合いだってサンタさんが思ってるだろうから、ありがたく遊ぶよって言ってた。

 

ものじゃないんだ、サンタが俺を忘れずに来てくれてることが大事なんだって。

 

私はサンタなんて来ない家で育ったから、ちょっと息子が羨ましい。

 

今年いい子にしてた自信があれば大丈夫だよ!って言ったら、ママは今年ちゃんと俺を完璧に育てた自信ある?ないでしょ?みんなそんな自信なんかないんだよ、って深い真理を説かれた。

 

チビだと思ってたのに、成長しる。

 

こっちもバレないように隠して、完全に寝るの待たなきゃいけないからソワソワしてるのに、11時ごろになって、お腹痛いとか言い出して、さっきやっと寝た。

 

もう少し深く寝てくれないと、忍べない。私ももう眠いけど、ここでバレたら終わりだわ。

 

どこまで信じてるんだろう。そういうの、私分からないけど、本当にサンタが忍び込んでるとはさすがに思ってないだろうな。

 

でもいいか。嬉しい気持ちは大事だ。2時になったら枕元に置きに行こう。寝ないように頑張らなくては。

 

クリスマスはいつからか、息子の喜ぶ顔を見れる日になった。そのうちまた、一人で過ごす日に変わって、うまくいけば孫の喜ぶ顔を見れる日になって、また一人で過ごす日に変わるんだろう。

 

やばい、なんか私もお腹痛いかも。変なもの食べたかな。。

都会の風。

会社を辞めてフリーになって1ヶ月、久々に都心に出た。電車に乗って、外の景色見たりして、毎日乗ってるとどうでもいい景色に感動すると言う、ありきたりなことが起きた。

 

なんかの勢いで、私はフリーランスという、なんとも不安定な立場になった。とりあえず、なんとか生きてはいける。

 

金銭的にはあんまり変わらないけど、時間的余裕と体力的な余力が全然ちがう。太りそう。もっと会社員の時くらい働けば全然稼げると思うんだけど、このくらいがちょうどよくて、無理して働かなくなってきた。

 

将来が不安ではあるけど、自分のスキル磨いたり、息子と向き合ったりする時間ができて、人間らしく暮らせている。

 

ストレスは皆無だ。そりゃもちろん、会社に属していれば税金とかそういうのやらなくてよくて、それはそれで楽なんだけどもね。収入も固定されるし。

 

 

私の周りの同世代は、フリーランスとか一人親方とか、起業して社長一人とか、ちょいちょいいて、いろいろ助け合って生きている。お金や時間やスキルを分け合って仕事してる。

 

あれ、でも、女の人いないや。おっさんばっかりだ。女性フリーランスとか、女性起業家とかとはまた違うジャンルにいる気がする。居心地いいんだろうな、男の人の淡白な人付き合い。

 

社会的異端児の多い世代なのかもしれないけど、共通しているのはここまでの10年以上、がむしゃらに頑張って仕事にこだわりを持っているというところ。私はそこまででもなくて、少し恥ずかしい。

 

パソコン1台、携帯1台、体一つで、頭の中の物を外に出すことでお金を頂いている。だから時々外に出て新しい刺激をもらわないと頭の中が錆びてしまいそう。

 

あんまりやりたくない仕事の依頼が来て、自信ないし納期短いし、断ろうと思ったんだけど、私にって見込んで頼んでくれた人に少しでもまあまあ助かったなって思ってもらえるような仕事をしようと思って引き受けた。

 

そういう仕事受けた時に、勉強する時間があるのがフリーの強みかも。会社員だったら勉強する暇ないし、あっても面倒で引き受けないし、自分の伸びしろ潰してたな。

 

仕事なくなったらスナックで働こうかなとか思ってる。別にスナックじゃなくてもいいけど、スーパーのレジとか向いてないし、なんか人の心を動かす仕事がしたいな。

 

食うのに困らない生活であれば多くは望まない。忙しいのも人間関係煩わしいのも、疲れた。夜中現場の次の日は昼まで寝れる生活が良い。完徹しても給料変わらないならやりたくない。

 

もっとちゃんと生きてきてて、ちゃんとした企業に就職していればそれはそれでもっといい暮らしだったかもしれないけどね。後悔しても何も生まれない。

 

とりあえず東京オリンピックまでは仕事繋げられそう。その後は、後にならないと分からないけどその時私40歳。まだまだ働かなきゃいけないんだなぁ。

 

とりあえず、有楽町線。もうすぐ目的地。

 

 

ありがとうの意味

うちの祖母は父方も母方も、二人揃って20年近く未亡人の末、要介護認定をされる程に長生きしている。

 

もう生きるの疲れた、とよく言う。

 

父方の祖母は一緒に暮らしてるけど、世話は父の仕事。母方の祖母は関西にいて、母の姉が近くに住んで世話をしている。

 

父も伯母も、ありがとうありがとうと何回も言われるとなぜだかわからないけどイライラする、とこぼしている。

 

親というのは、子供がずっと子供で、子供の機嫌をとる事が1番喜ぶって思ってるから、たくさんありがとうが言いたいんじゃないかと、親になって10年の私は思う。

 

でも、子供も大人になって、機嫌を取られたらお母さん大好き、な歳ではなくなっていて、日々終わりの見えない介護生活に疲れ切っていて、浴びせるようにありがとうを言っても、届かなくなってしまっているのかな、と思う。

 

そう思ったのは、誰かのツイートで、

大人の「好き」は多くの場合「この人を大切にしてあげたい」だが、子どもの「好き」は「この人に自分の機嫌をとってほしい」である。しかし、大人になっても子どもの心ままに「好き」を使う人がいるので、横から見ると「どうして好きと言いながら、こんな酷いことをするのだろう」という事例が出る。

 

というのを見つけて、なんとなく繋がった。私の祖母の例は逆パターンで、この子の機嫌をとってあげたい、がいらない言葉になってしまっているのかと思う。

 

ありがとう助かるわ、と言われてももう、お母さんに褒められたなんて達成感ではやり切れない思いが介護生活にはあるような気がする。

 

母は、どちらの祖母の面倒も見ない。私には無理、の一言でかわしている。私は父と母の面倒をいつか見るんだろうというやんわりとした覚悟があって、無理の一言で逃れている人の面倒を見るのはやるせないなぁと、なんとも言えない辛い気持ちになる。

 

同居の祖母は、認知症ではないけどもうすぐ100歳で、私のとこを時々忘れて時々思い出す。

 

朝、今日はうちに泊まるの?って聞かれたり、久しぶりねぇって言われたり、かと思えば、早く再婚しなさいよって言われたり、名前はたまに忘れちゃうけど出戻りの孫かしら??くらいには覚えているっぽい。

 

エアコンが消せないって困ってることが多いから、いつも消してあげると、ありがとうありがとう、あなたは賢いわってすごくすごく褒められる。

 

私は腹が立たないけど、これが親だったら腹立つな、と思う。不思議。親子って難しい。

 

母に、私はいずれ、いつかは分からないけど、息子の成長の丁度良いタイミングで家を出ると伝えた。

 

ずっとダメだと言われていたけど、家のローンを私が払い続けると言うのと、世話が必要になったら通いで世話をすると言う条件で許可がおりた。

 

感情的にならずに、淡々と話すことで、あの人のヒステリーも刺激しないで済んだようだ。このところ、平穏だ。

 

家を出るのがいつになるかは分からないけど、ここに居続けなくていいと言う許可は、私を解放した。やっと鎖が切れた感じがする。

 

母の呪いから少しずつ解放されて生きたい。通いで世話をするようになったら、ありがとうを浴びせられて、すごくイライラする気がしてならないけど。